You are invincible!

 予てから陽介は、月森には敵わないと言っていた。
(俺からすれば、陽介こそ敵わないんだけど)
 さらりと空気を読んで優しいし、真面目で可愛い。ドジっ子なところもゴキブリが苦手なところも、カラオケで歌が普通に上手くて逆に楽しくないところも全部敵わない。存在自体が卑怯だと思う。
「よっしゃぁぁ! 勝ったぜっ!」
 そのようなわけなので、陽介は甚くご満悦のようであった。向かいの筐体にいるので顔は見えないが、声だけでも喜色満面というのが伝わってくる。素直で分かり易いところも、やっぱり、ずるいなぁと思うのだ。
「……難しいものだな、格闘ゲームって」
「へっへーん。ってか意外だな。なんでもできちゃう月森センセイがこういうのダメとか」
「陽介は俺を買い被り過ぎなんだよ」
 苦手なことくらいあるんだから、と肩を上げると、こちらの方に顔を出した陽介は、少し憎らしいと思ってしまうくらいに、にこにことしている。
「やったことねぇの?」
「いや、少しくらいはあるけど」
「んでも、ぷよぷよも太鼓の達人も大富豪もオセロも、なんでもできんじゃん。モンハンも俺より上手いし」
 沖奈まで出てきたものの、遊ぶという以外の目的は特に用意していなかった。そこで、たまにはゲームセンターで遊ぶのも良いかも知れない、などという話になり、ゲームセンターにやってきたのである。せっかくだからプリクラでも撮っていかないかと月森は誘ったのだが、「恥ずかしいからぜってぇヤだ!」と強固に断られてしまったのだ。そういう、恥ずかしがり屋なところもずるい。見た目は少し軽そうで、女の子にはすぐに声だって掛けてしまう癖に、陽介はびっくりしてしまうくらいに純情だ。キスするに至るまでも、相当なハードルを越えてきている。存在が卑怯だと思っても仕方がないだろう。
 彼に拒否されてしまったのでプリクラは止めになったが、先程までいろいろなゲームをやってきた。しかし、陽介は軒並み負けている。思い返してみれば、家でゲームをやっても、大体、月森が勝っていた。要領が良いのだ、ということは月森自身、自覚している。何でもソツなく熟せるという程度の自負もあったけれど、器用ではあるが何かを極められるということはほとんどどないし、何かの執着もなかった。だから『何でも』ということに格別の興味を払っていなかったのだ。出来ても出来なくても、そもそもどうでも良い。昔は気にならなかったそんなことも、けれど、陽介が何でも賞賛してくれるから、今では全く意味合いが異なっていた。
(俺が一位で、『自分のことみたいに嬉しい』だもんな)
 自慢ではないが、陽介のことならばいざ知らず、他の友人が自分より成績上位で、ましてトップだったとして、月森はそれを素直に祝福出来るだろうかと思うのだ。悔しいとか羨ましいとか、そういう明るくはない感情がどうしても先に立つ。今の月森なら、陽介が好きだからという意味で、彼に良いことがあれば素直に嬉しいにしても、陽介の方はそもそもそういう感情があって言っているわけではないのだ。その、とてもシンプルな好意こそが脅威だ――というのを、陽介は知らない。天然だと言えばそうなのかも知れないだろう。やっぱりずるい。
「このゲーム、陽介、やりこんでるんじゃないのか?」
 月森は初めて触れたが、最新機種というわけではないらしい。陽介が先に知っていて、このゲームをやったことがあるというのであれば勝てなくても当然かも知れないと思ったが、陽介は首を横に振った。
「んにゃ、初めて触った」
「えっ……、じゃあ、ビギナーズラックかも知れないだろ、それ」
「や、似たようなのやったこととかあるし。つーか、レバガチャじゃなかったろーが」
「もう一回やってみよう」
 自分が負けず嫌いであるような気はしているが、別に陽介に負けることは構わない。と言うより、常々陽介に勝てる気がしないのに(概ね可愛さとかそういう方向ではあるが)、今更負けてもという気もしている。
(しかもゲームだし)
 勉強やスポーツでと言うならばいざ知らず、ゲームで負けたからとて、人として勝るとか劣るとかそういうことはないのだから、どうでも良いはずだ。勝つことで陽介の自尊心が満たせるというのならば、それも良かろう。ただ、本当に陽介の方が強いのかという純粋な検証を行いたいと月森は思ったに過ぎないのだ。そんな意図を分かってか否か、陽介は余裕綽々に「俺は構わねぇけど」と笑う。それならばと月森がコインを投入してスタートボタンを押すと、また対戦画面に切り替わった。
「へへ、見てろよ、相棒」
 向こう側から聞こえてくる声は、実に上機嫌らしいことを示している。
(調子に乗ってるようじゃ、勝てないぞ)
 そう思ってから、ふと、あぁ自分もやはり負けたのが悔しかったのだな、と月森は冷静に思った。月森とて、所詮は人の子なのである。そんなことを考えながら、先程と同様にレバーとボタンを操作したものの、あっさり一戦目を落としてしまった。続く二戦目も、陽介の快勝。画面に『YOU LOSE』の文字が踊った。
「よっしゃー! おっ前、実は苦手なんだな、これ」
 顔は見えないが、陽介が楽しげにしているのが分かる。言葉尻には音符マークすら浮かんでいるように見える。月森は溜息混じりに席を立った。逆側でまだゲームを続けていると陽介の肩を叩くと、にこにこと嬉しそうにしている。
「そんなに嬉しい?」
「無敵のリーダー倒したんだから、トーゼンだろっ」
「何が無敵だ」
「テレビの中じゃ負けなし」
「中だけ?」
「外でもそーじゃん? テストは一位、部活でも活躍、んでモテモテ」
 陽介は笑いながら、ひょいひょいとレバー操作をしている。器用なんだな、としなやかな指先を見て思った。
(鶴は折れないのに)
 別にモテても嬉しくない、と言えば陽介に怒られてしまうかも知れないが、実際のところ、そんなことには興味がなかった。それよりずっと、そのしなやかな指先の方が価値があると思っている。彼のパーツで嫌いな部分は見当たらないが、最も好きなものはと聞かれたら、この指先を挙げるかも知れない。傷付いてしまうのが惜しくて、ちょっとの怪我でも放っておけないくらいに。
「あ、挑戦者」
「うおっ、なんか強そうなフンイキ……」
 画面しか見ていないのに、相手の強さが分かるのだろうか。一体、陽介が指しているのはどういう雰囲気なのかと思いながら画面を見ていると、あっさりと一戦目を落としてしまった。二戦目はギリギリで勝ったものの、三戦目でもまた、あっさりと敗北。
「残念だったな」
「ははっ、たしかに。行こうぜ」
 陽介は立ち上がると、片目を閉じて笑った。
「悔しくないのか?」
「べっつに。お前に勝てたもん」
「何だとう」
 思わず両の頬を引っ張ってやると、陽介は笑いながら「いひゃいいひゃい」と両手をバタバタさせた。小動物的な動きは何度見ても飽きない。くすりと笑って手を離すと、いきなり何すんだ、と不満気な口調で言いながらも、陽介はリノリウムの階段を軽く下りながら笑っている。
「な、また来ようぜ、相棒」
「良いよ」
 どんな場所でも何をするのでも、二人でデートならば歓迎である。この調子ならば明日にでも「相棒、今日もゲーセン行こうぜ!」と誘ってくれそうな調子だ。それは好もしいと思って笑えば、振り返った陽介が首を傾げた。
(いつもは俺が誘ってるわけだし)
 たまには陽介からも、一緒にと声を掛けて欲しい。二人でいたいと思っているのが自分ばかりではないのだ、と見せて欲しいのだ。
 階段の途中には自動販売機があった。先に到着していた陽介は、喉渇いたとか言いながら、自動販売機をじっと見詰めている。
「奢るよ。どれが良い?」
「えっ、なに? えっと……んじゃ、コーラ」
 コインを入れて、胡椒博士NEOがあったのでそれを押した。自分用にはリボンナポリンを選んでコーラを渡すと、さんきゅー、と陽介はあっさりと笑っている。
「なになに、相棒。もしかして、さっき俺が勝っちゃったから、賞品てか?」
「捉え方は何でも構わないよ」
 陽介が嬉しそうにしているので、賞品としての価値を見出したいのであれば、それでも結構だ。
 どこでも構わないことは構わないが、ゲームセンターは空気が良くないとは思う。禁煙のフロアでなければ紫煙が浮かんでいることも少なくはない。そもそも、画面の前に灰皿が置かれていることすらあるのだ。過敏になることはないが、副流煙による肺癌被害というもののリスクを悪戯に上げるのは懸命だと思えなかった。しかも、換気があまり良くないためか、喉が渇く。そんなことをつらつらと考えていると、陽介は月森の腕をクイクイと軽く引っ張った。
「なぁなぁ相棒」
「どうかした?」
「さっきのさ、俺がお前に十連勝したら、なんかごほーびとかほしいなぁとか」
「十……連勝……?」
 ご褒美という言い方は可愛いが若干のあざとさすら感じずにはいられないので、言葉のチョイスとしてどうかと思う。と、言い掛けたのを止めて、陽介の言葉を鸚鵡返しするに留めた。
「さっきのなら、俺、勝てそーな気ぃしてんだ」
 無邪気にそんなことを言うので、さすがに「何を!」という気持ちになった。
「言ったな、陽介」
 舐められて貰っては困る。確かに、陽介に遅れを取ってしまったことは事実であるが、十回に一度も勝てないなどと陽介に思われるのは心外だ。
 それに、月森自身、陽介に『無敵の』と言って貰えるようなリーダーでありたいと思っている。そうであれば、格闘ゲーム如きで遅れを取りたくはない。やっぱり心外なのだ。
「陽介にご褒美というのは分かった。でもだったら、俺が一勝でもしたら、俺の言うこと一つ聞いて貰うよ? もちろん、陽介へのご褒美も同じ『俺が陽介の言うことを一つ聞いてあげる』でどう?」
「おっ、賭けすんの? いいぜ、俺は」
 陽介はにやりと笑った。どうやら余程、負けるつもりがないらしい。
「後悔するなよ、陽介。もう撤回は認めない」
 まぐれにしろ運にしろ経験によるにしろ、一回くらいは勝てる見込みがある。第一、この賭けは陽介にとってリスキーなばかりで、月森の勝率の方がうんと高くなっているのだ。陽介は月森がにこりと微笑んだのを見ると、少し身体を離して「えっ」と身構えた。
「俺になにさせてぇの? エロい方向はヤだ」
「キスプリ撮りたい」
「またそんなん言ってんの!? なんなのその執着心!」
「携帯の待ち受けにしたいと思って」
 最近のプリクラ機では、携帯電話に撮った写真を送れるどころか待受画面に設定する専用の画像にも加工してくれるらしいのだ。せっかくゲームセンターにいるのだし、ただのプリクラの一枚ですら撮ったことがないのでは勿体無いだろう。
「こわっ! どんな羞恥プレイだよそれ! ぜってぇ負けらんねぇ……」
(そこまで言わなくても)
 背を向けてぶつぶつと言っている陽介に少しばかりむっとして、月森は腕を引っ張った。急な行動に陽介が体勢を崩したのを左腕で抱き留めて、背後から不意をついて軽くキスすると、睨まれる。
「TPO考えろっていつも言ってるだろ」
「陽介、TPOって何の略か知ってる?」
「え? Tがタイムで、プレイス……Oってなに?」
「知ったかぶりは良くない」
 もう一度、ちゅっと音を立ててキスすると、こら、と頬の紅いままに怒られた。
「オケージョン」
「どういう意味?」
「場合。時と場合によるってね」
 即ち、時と場所、場合さえ考えてくれれば、キスするのは構わないということだろう。月森が溜飲を下げて、身体に回していた腕の力を強くすると、これもTPO考えろ、と陽介は軽く抵抗した。陽介にとっては特に幸いなことに、階段を昇降する人影はない。
「つか、プリクラじゃなくても、写真でいーだろ」
「プリクラは恋人っぽい」
「女子高生の仲良しグループの間違いじゃね……?」
「そういうもの? 里中と天城なら普通?」
「いんや、直斗とりせだな」
「どう違うんだ」
「りせが『直斗くん、一緒に撮ろうよぉ』って上目遣いでおねだりしちゃって、チビッコ探偵もうっかり頷いちゃう」
「陽介もうっかり頷いて?」
「そうそうりせちーならついつい俺もキュンとして――って」
 浮気者、と腕を離して正面から再び頬を引っ張ると、また陽介は腕をバタバタさせた。
「ほらやっぱり、二人でプリクラ撮るしかないな」
「いひゃい……てか、頬が伸びる……」
「男二人でも入れるところを探すか」
「ケータイの写真でいーだろーがもう!」
 手加減せずに引っ張った所為か、陽介は若干涙目になりながら頬を摩りつつ、オレンジの携帯電話を取り出した。撮るからほらこっち見ろ、と腕を引っ張る。
(あ、これはこれで)
 陽介はカメラを切り替えずに、画面を逆方向に向けていたので、どのように写っているのかは分からない。けれど、二人写そうとすれば、必然的に密着することになる。横からじっと見ると睫毛の長さも滑らかな頬も鼻筋の通った綺麗な顔立ちも、全部が良く見えた。
(髪は綺麗な色だし、何となく良い匂いが)
「ほら撮るぞ、はい、チーズ」
 陽介の掛け声は早い。すぐに電子音が響いた。あっと月森が思った時には、もうすでに遅かった。
「よし、これで我慢な――」
 そう言って画面を確認した陽介の身体が固まる。横から月森も画面を覗き込んで、思わず苦笑いしてしまった。
「お、前……、ちゃんとレンズ見てろよ……ッ!」
「ごめん陽介可愛いなぁって思ったらつい」
 画面に向かって笑顔の陽介と、そんな陽介をまじまじと見ているばかりの月森の姿がきちんと写し出されていた。
「……ッ、ハズイ! こんなんなら……プリクラの方がマシ……」
 陽介が頭を抱え込んでいたので、携帯をさっと取って、月森が代わりに写真を保存しておいてあげた。そして速攻で自分の携帯電話にもメールで送る。動きが速過ぎてヤだ、と陽介は更に頭を抱えていた。
「それじゃあ今度は、プリクラで」
「やらねぇっつってんだろーが!」
「残念」
 新着メールを確認して、先程の写真を保存。
「ちょっと待て。まさかとは思うが……それ、待ち受けにすんなよ?」
「あれ、バレた?」
「そういうのやめろよなぁ!」
「じゃあどうすれば」
「どうしたいんだよ! どうしたいの!」
「陽介が好き」
「あ、のなぁ、脈絡な――」
 細い手を取って、敬愛している指先に軽くキスをした。
「写真が欲しいんだよ」
 二人で撮った写真が。恋人らしい写真が。
「大体さ、好きな人と写真を撮りたい、ということに理由はないだろ?」
 薄茶の丸い瞳が揺れた。唇が微かに動く。
「ずるい男だよ、お前って」
 やっぱり敵わない、と陽介は笑った。

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