霧の深い道を走る青いリムジンが目の前に止まった。気付けば中にいて、内装もやはり青い。黒いスーツに黒いネクタイ、白いハンカチーフを胸に差し同じように白い手袋をはめた、銀髪の青年が、両手を組んでこちらを見ている。
「ようこそ、ベルベットルームへ」
にこりとも笑わずに、顔立ちの良い青年は歓迎の言葉を述べた。
「変わった定めを持った人が来たみたいだな」
横に座る青い衣装を身に纏った青年に、少し目線を投げ掛けた。
「俺は月森柚樹。初めまして、かな」
組んでいた手を解き、月森と名乗った青年は右掌を上に向けて微かに笑う。彼の名前を聞いてギョッとした。
「ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所。本来は、何かの形で“契約”を果たした者だけが訪れる部屋……キミには、近くそうした未来が待ち受けているのかも知れないな」
キミの名前は、と月森は問う。
「月森――柚樹だ」
奇しくもここの主と同じ名前を持っていた柚樹は、動揺しながらも名を名乗った。目の前の男は、そう、とだけ頷く。
「では、キミの未来を少し覗いてみるとしようか」
そう言うと、月森は目の前のテーブルに手を翳した。ふっとカードのようなものが出てくると、占いは信用する方かな、と笑う。彼は手を動かすでもなくカードを並べると、すらすらと柚樹の占い結果を口に出した。塔と月の未来を予言する。
「俺の役目は、客人の手助け……」
カードをテーブルから消すと、月森は横を見た。
「紹介が遅れたね。こっちにいるのは、花村陽介。俺と同じ、ここの住人だよ」
名前を出された青年は、柚樹を見るとふわりと笑う。
「『お客様』の旅のお供を務めます、花村陽介です」
先ほどまで開いていた青い表紙の本をぱたりと閉じて、花村は柚樹の方を見た。薄茶色の瞳が値踏みするようにこちらを見て、にこりと微笑む。可愛らしい顔立ちだった。柚樹が思わず彼の方をじっと見ていると、横から咳払いの音が聞こえる。
「どうしましたか、我が主?」
「あんまりじろじろと人の助手ばかり見ているのはどうかと思うんだけど」
「なにを仰っていらっしゃるやら」
ふふ、と花村は笑う。
「詳しくは追々にしようか。キミはどんな数奇な運命を辿るんだろうね――俺とそっくりなお客人」
月森は片手を伸ばした。柚樹とそっくりの顔立ちで。
「また見える日を、心待ちにしております」
「……陽介、そんなに楽しみなのか?」
「だからなにを仰っているんですかね、我が主は」
夢と現の狭間にあるという幻想が、ゆっくりと溶けていく。
*
「不思議な客だったな」
陽介は重たい本を膝に乗せると、ことりと首を傾げた。
「お前、そっくりだったじゃん」
「何か意味があるのかないのか……」
月森はカードをぱらぱらと捲る。癖になっているタロット占いのようにテーブルに並べた。開いたカードはラバーズ。
「てか、なに突っかかってんの、お前。もしかして、顔的な同族嫌悪?」
「違う」
あの客人、自分と同名の柚樹が、陽介をじっと見ていたのが、月森は気にかかったのだ。同じ顔して同じ方向に視線を向けていれば、それは否応なしに気になるだろう。
(というか――気に障るな)
彼には自分と同じ匂いを感じた。普通とは違う、ワイルドの能力の所持者としてのそれだ。
「陽介はどう思う?」
「相棒に似て、イイヤツっぽそう!」
陽介が屈託なく笑って言うので、月森の眉間に皺が寄った。
「却下」
「なにが!?」
「俺とは似ていない」
自分で考えた内容に反することを言うのも難だが、同じような人として捉えて欲しくないし、それで下手に親近感を持たれても困る。彼は、助手にして月森の恋人なのだから。向こうに色目を使われても困る。陽介は月森の顔が好きだとも言ってくれるので、同じ顔に迫られて惑わせてしまってもいけない。
「俺は俺だけなんだから」
手を伸ばして陽介を腕に抱え込むと、こら、と怒られた。
「また来るかもしれないだろーが」
「来ないよ。彼はしばらくは来ない。分かってるだろ?」
陽介はむむむ、と小さく呻いた。
(『我が主』なんて客の前では呼ぶから、他人行儀に聞こえる)
けれど、名前とか相棒とか呼ぶように言っても、客相手なのだからダメだと却下されてしまう。
(まぁ、『主』扱いはいいんだけど)
喩えるならば、ご主人様と呼ぶメイドであるとか、そんな感じで響きとしては悪くない。
「陽介……当分、一人でいるときは客人を呼ばないように」
「呼ぶなって、向こうが来るんだろーが」
「こんな密室に二人きりなんて、危険すぎる」
「お前がゆーな」
「俺は密室を良いことに、イケナイことなんてしないだろ?」
爽やかに笑うと、顔を上げた陽介が苦々しい顔をした。
「密室を良いことに、は確かにしてませんねぇ、我が主」
「オフは別」
「はいはい」
「今から密室を良いことにしようか?」
顎のラインから首筋を触ると、陽介はひっと声を上げた。そのまま唇を重ねると、一度閉じた目を開いて、じろっと睨んだが、目元が紅いので迫力は全くない。
「この服……鉄壁っぽい気がする」
清潔な青いスーツは、痩身の彼に良く似合っていた。しかし首元までの黒のハイネックも分厚そうな青い生地も、肌を露出させるのを決して好まない彼らしいガードの堅い服なのだ。ソファに押し倒して胸元の大きなボタンに手を掛けると、陽介がじたばたと藻掻いた。
「こら、相棒」
「柚樹」
一つ目のボタンを外して、じっと目を見詰める。相棒という響きも好きだし、そう呼んでくれるのは嬉しいと思っている。ここでは助手だけれど、陽介は相棒なのだ、と認識しているから尚更に。
「だから、ここではって」
「なまえ」
でも、自分の名を呼ばれるということに恍惚があるのはどうしても否定出来ない事実なのだ。
「あーもー……、柚樹」
「なあに、陽介」
何じゃないと陽介が首を振った。くすくす笑っていると、唐突に人の気配を感じた。月森が振り向くと、また、自分と同じ顔が座っている。
「おや」
時間の流れはここでは不規則だ。すぐには来ないはずだと思っていても、ふと気付けば人がいる。そんな場所。夢と現実の狭間。月森の手を押し止めようとするばかりの陽介は、気付いていないようだった。月森はにこりと笑って、口元に人差し指を当てる。
「また後で」