バレンタインだというのに、ツイていない。
元より、バレンタインだからとチョコレートを多量に貰う訳ではない。顔は悪くないと言われても、喋るとガッカリすると言われ続けてきた人生だ。今年も義理チョコを貰っただけで、その上、学校が終わったらジュネスに駆り出されたのである。火曜は確かにシフトが入っているので致し方がないことだが、息子は男子高校生だ。少しは恋人と甘い空間を過ごす可能性を考慮した配慮を求めたいと父親に訴えたら、一笑に付された。相手がいないことはお見通しだったのである。斯くして夜遅くまで飛ぶように売れるチョコレートをただただ見詰め続けて、可哀想だからと余りを一箱だけ貰って、漸く帰途についたところで、災難は続く。
「こんな時間に仕事?」
肩を叩かれたので、知り合いだろうかと振り向いたら、見ず知らずの男が立っていた。何だか得体が知れない。黒いロングコートを着ていて、グレーのマフラーを首には巻いている。一見すると普通の会社員のようだが、ジュネスの人でないことは分かる。それ以外に知り合いの会社員などいよう筈もない。思わず頷いてはみたものの、さっぱり知らない人なのだ。わざわざヘッドフォンを外したというのに。
「……えぇと?」
「高校生? バイト?」
「は、はぁ」
誰やねん、と思わず関西弁が頭に浮かんだ。薄暗い電灯の元、男がまるで知り合いみたいに親しげに話し掛けてくることので、気味が悪い。
「今度お酒でも飲まない? 高校生でも少しくらいは飲めるでしょ」
(な、なんかヤバイおっさん……)
何度見ても、知り合いではない。背筋が寒くなってきた。全く何の自慢にもならないので自慢ではないが、変な男に絡まれるという経験は、実は皆無ではない。都会にいた頃の方が寧ろ、変な輩とは多く遭遇していた。友人に話すと笑われるが、陽介にしてみれば、気味が悪いし、性質も悪いので笑い事でも何でもない。そういう趣味はないし、あったとしても、絶対に御免だと思わせる気味の悪さだった。格好が普通なだけに、余計に怖い。
「っ、急いでるんで、」
ねぇとか何とか言いながら男が近付いてきたので、陽介は後退った。手でも伸びてきたら嫌だ。
「陽介、今日は遅かったんだね」
びくびくしていると、急に割ってきた影があった。銀色の髪が、薄ら明るい街灯の下で輝いている。
「へっ? あ、つ、月森――」
「知り合い?」
「や、全然……」
陽介がぶんぶんと首を振ると、男は急に踵を返して走り出した。
「追おうか?」
髪と同じ銀色の瞳が、鋭く去っていく背を睨めつけている。彼の姿を見て安心した。ほうっと息を吐き、陽介はふるふると首を横に振った。
「いい……」
それよりも、月森が目の前からいなくなってしまうことの方が嫌だと感じていた。引かれるかな、と思いながら、彼の学ランの袖を掴んだ。
「平気だった? 何もされてないよな?」
「声、掛けられただけだから」
「もしかして、あぁいうの、珍しくない?」
頷きたくもなかったので、取り敢えず黙った。
「変なトコ見られたな。ゴメン。つか、ありがとな」
月森はじっと視線をこちらに傾けた。
「……ね、陽介」
「ん?」
「俺と、付き合って欲しい」
優しい目で言われて、一瞬、何を言われたのか分からなかった。
(……付き合う?)
どこかに付き合うのだろうか、と頭の中でぐるぐる言葉が回っている。へ、と物凄く間抜けな言葉しか出てこなかった。
「俺がいなくなる日まで。……それまでだけ、俺と付き合ってくれないか?」
「つ、き、あうって」
「どこか場所にじゃないよ?」
あぁうん、と訳もなく陽介はこくこく頷く。言葉の意味理解が追い付いていなかった。思考がショートしている。スパークしている。付き合う、付き合う、付き合う、と言葉が何度も重ねられていく。白いキャンバスを塗り潰すように、言葉が紅く紅く染まっていった。
「お、俺で、よければ……?」
辿々しく言葉を紡ぐと、月森は柔らかく笑った。
「他の人じゃ、意味ないだろ」
微笑んだまま、月森は手に持っていた紙袋から、小さな箱を取り出した。
「無駄にならなくて良かった。これ、チョコレートなんだ」
はい、と陽介の手を掴むと、月森はオレンジ色に包装された箱を手に握らせた。
「バレンタインだから、食べて」
「あ、ありがと……ございます」
「送るよ」
「ど……ども」
展開にまだ頭が付いていけていない。今日も変わらない綺麗な顔立ちで隣を歩く月森は、にこにこと優しげな微笑みを浮かべている。どこか、満足そうな。
「あの、つ、月森」
「名前が良いな」
「は? え?」
「二人でいる時だけで良いから、名前で呼んで」
もしかして名前忘れてる? なんて、悪戯っぽく月森は瞳を細めた。
「……ずき」
「聞こえない」
「ゆず、き、サン」
「うん。何?」
「余りもんですげーワリィんですけど……よかったら、これ、持ってってくれ」
いらないと突っ撥ねなくて良かった、と心底思いながら、店で貰ったチョコレートの箱を鞄から取り出した。一応、名のあるブランドのチョコレートだから、味に問題はない筈だ。とは言っても、自分で買った物でもないし、売れ残ったからタダで貰っただけのチョコレート。予定していなかったのだから当然だとは思っても、酷い罪悪感が募った。受け取った月森が、とても幸せそうに笑うから。女同士だったら、友チョコなんて言って、普通に交換することを考えただろうに、とぼんやり思った。
あげたいと思わなかった訳ではない。
(つっても、男友達からとか……ドン引きだろ普通、って)
だから止めたのだ。いずれにしても、告白しようとか出来るとか思っていなかった。優しくて、何でも出来て、それでいて気取ったところがない。背を追っていた視線が羨望から恋に変わったのがいつかは記憶していないが、月森は陽介にとって特別な親友で、それ以上であった。それを本人に知らせる気もなく、ただ、相棒で隣にいられればそれで満足していた。陽介、と綺麗な声で呼んでくれるだけでも十分に。
「ありがとう、陽介」
「こ、こっちこそありがとな……ゆ、柚樹」
付き合うとは一体何だろうかと思う。月森はしっかりしているが、どこか天然気味なところがある。ここを去る日が近い為か、妙なお願い事をされたという話を、千枝や雪子からも聞いていた。色々と思い出を残していきたいのだろうと。その一環だろうかと思い、もしかしたら、ひっそりと想っていたことが勘付かれていたのだろうかとも思った。だから、ここにいる時だけ、と。
「月も綺麗だ」
「え? あ、確かに……だな」
半月に程近い月が、雲も少ない夜の空を、明るく照らしている。あれは下弦の月だか上弦の月だか、地学で習った気もするが、余り記憶にはない。分からないでいると、月森が「そろそろ下弦の月だな」と呟いた。そう彼が言うのなら間違いないだろう。へぇ、と言うと、忘れてるな、と返ってくる。
「ぱっと見で分かるのがすげぇんだよ。お前くらいだって」
「分からなかったら、覚えても意味がないだろ?」
「オリオン座なら分かる」
八十稲羽のネオンの少ない夜空には、星も数多く観測出来た。指さして見せると、月森も頷く。分かると言っても、オリオン座くらいなのだが。
(銀色の月――)
下弦の月と彼が言ったそれは、確かに綺麗だった。
*
帰ってしまうまでの恋人。帰り道はふわふわとしていて、実感が沸かなかった。夕食を食べても無味乾燥として、何も感じられない。クマがいつものように纏わりついてきたのを適当にあしらって、ベッドに寝転んだところで、じわりと何かを実感した。
(恋人ってこと、なんだよな)
幾度も月森が告白されるのを見ている。その度、笑顔で首を横に振っているのも知っていた。バレンタインデーだって、チョコレートを渡そうとする女子を山のように見ている。彼はモテるのだ。そのことを、多少は羨む気持ちもあるけれど、陽介の感情の総体としてはどこか誇らしい部分が大きい。自分の親友は素晴らしい人物なのだと思っている。彼の隣にいられるのが誇らしかった。
実感が沸いて、また実感を失くす。そうした流動的な感情のまま、翌朝を迎え、学校に向かう途中で月森に会った。彼はいつも通りに穏やかな微笑みを浮かべていて、昨日のことは夜なのに白昼夢か何かでも見たのではないかと思う。思って「月森」と呼べば、人がいない時は名前が良い、と甘やかに耳元で囁かれた。
「我儘?」
「な、慣れてないってだけで」
「いなくなるまでには慣れて欲しいかな」
そんなことを、笑って言う。
(いなくなるまでだけ)
どんなことを言っても、一ヶ月もすれば、彼は都会に戻ってしまう。淋しいと感じることは多々あった。完二に指摘されるように、陽介はどうにも月森に頼りがちだし、何かと傍にいる。親友だから、で済まされる程度なら、出来るだけ傍にいたかったのだ。物理的に距離が離れれば、それはどうやったって叶わなくなる。離れても絆が消えることはないと思っても、傍で同じ空気を纏っていることが出来なくなるのは淋しいことだった。
「陽介、目が紅いけど、夜更かしでもした?」
急に目元に手が触れて、思わず飛び上がりそうになった。月森は意外と、口で何か言うより先に、手が出る性質らしいのだ。危ないと言う前に、手を引いてくれる。触れ方が優しくて、あたかも恋人らしい。
「や、クマがうるさくて、眠れなかっただけ……」
「そう? じゃあ、クマには今度、注意しておくよ」
(ホントはなんか、寝付けなかっただけなんだけど)
眠ろうとする度に、月森の声が耳元に蘇ってきて、どうにも眠りに就けなかったのだ。
「チョコ、食べた?」
「や、まだ……もったいなくて」
「クッキーだから、幾らか日持ちはすると思うけど、添加物は入っていないから、長くは持たないよ」
「あ、りょ、りょーかいです」
「陽介、もしかして、何か緊張してる?」
「うえっ?」
動揺を悟られて慌てて目を逸らすと、こっち見て、と月森の手が陽介の顔を掴んだ。強引に目線を合わせられる。
「嫌なら、先に行くよ?」
銀色の瞳は、いつもと変わらずに綺麗に陽介を貫く。この目に射貫かれたら最後、きっと逃れられないのではないかと思ったことがある。
(思考が……乙女チック……)
自分で自分の思考にやや絶望する。
「嫌ってんじゃなくて! ……緊張は、してる。ゆ、ずき……って、呼ぶのも、ハズいし」
「隣にいても平気?」
「たりまえだろッ。あーアレだ、その、付き合いたてって、こういう感じ! そういうのだけ!」
自棄になって言うと、月森は唇をにっこりと動かした。
「そうだね。何だろう、初々しいって言う?」
「えーと、それも……はずっかしいです」
直視出来ずに目を逸らすと、小さく笑うような声が耳に響いた。
(否定とか、されてないよな)
付き合うという言葉の意味が、二人の間でズレている訳ではなさそうだ。時限があるにしても、付き合っている。恋人なのだ。
「ゆ、柚樹、今日の放課後って、空いてるか?」
「空いてる。俺さ、ちょっとやりたいことがあるんだけど、付き合ってくれる?」
「いいぜ! なにすんの?」
月森は朗らかに笑った。
*
「……で、なんで図書室よ」
「陽介に勉強を教えていかないと、と思ってて」
「やさしー……」
やりたいこととは何かと聞いても、放課後になったら分かるから、の一点張り。そして授業が終わったと思えば、手を引いて図書室に連れてこられた。勉強しよう、と。
(恋人が最初にすることがコレかね)
恨めしく思って見ても、月森はやる気満々だ。参考書を何冊も鞄から取り出し、それでは飽き足らず、席を外して図書室からも本を持ってきた。
「もしかしてさ、月森、教えんの、スキ?」
口に出してからハッとした。授業中もそうだったのだが、無意識に月森と呼んでしまう。彼はこちらを銀色の瞳でじっと見詰めて、苦く笑った。
「ここは、人も多いから良いよ」
そもそも線引するということが苦手な陽介からすれば、二人でいる時だけは名前で、というのは難しい。しかし、急に名前呼びになった、しかも若干恥ずかしそうに呼んでいるとなれば、不審な目で見られ兼ねないだろう。それもバレンタインデーの日からとあれば、あらぬ疑いを掛けられてしまうだろう。疑いなどではなく、純然たる事実なのだが。
「全体として教えるのが好きかは分からないけど、陽介に教えるのは好きだよ。俺の言うこと、ちゃんと覚えてて欲しい」
ちゃんと勉強を覚えてくように、というだけの言葉なのに、柔らかい囁きはキャラメルのように甘く、脳内で溶けた。
「うん……忘れない。お前の言葉なら」
「教え甲斐あるね」
きっと、ずっと想っていた自分のようには、甘く甘く感じたりはしないのだろう。けれどそんなことはどうでも良くて、優しい響きも、穏やかな眼差しも、響きだけが無闇に甘い恋人という言葉も、今は全て自分の手の中にあるのだ。訳もなく嬉しいのも、胸が擽られるような暖かい感情も、全部それが源泉。
言われるままに筆記用具とノートを取り出して、ちらりと窓の外を見た。寒さはまだ厳しくて、去年は早く春が来れば良いのにとばかり思っていた。春が来れば、何か新しいことが始まるのではないかと。事実、月森が来て、生活は一変したけれど、今年は、春が来ればと思えなくなってしまった。指先が凍えるように冷えても、どんなに朝、布団から出たくなくても、それらは全て瑣末事だ。
陽介、と呼ばれたので月森の方を見ると、顔がスイッと近付いてきて、額がこつんと合わせられた。キスした訳でもないのに、軽く触れたそれにすら、胸が高く鳴る。こんなに独りでドキドキしているのが悟られなければ良いと思いながら、気付かれないように呼吸を整えた。動機が激しくて、息が苦しい。
「あ、あのさ、月森……お前、もう、ここ、長くないんだしさ……俺の勉強なんか見てなくても……。こんなんで、楽しいか?」
「楽しいと言うか、これは俺が好きでやってることだから」
ね、と月森は淡く微笑む。
「でも、そうだな――試験前にさ、陽介とこうして図書室で静かに勉強しているのが、好きだったんだ」
「勉強してんのが? 俺が、わかんねーって泣き付いてただけで……」
いつも試験前には月森と勉強していたが、大概、陽介が分からないところを尋ねるというだけだった。二人でいると勉強が捗る、というのは、相対的に頭の出来が良くない方にしか言えないのだと実感した程である。後で答え合わせをしたところ、千枝も雪子と勉強している時は同じだったらしいので、二人で自虐的に笑ってしまったのだが。
「気付いてなかっただろうけど、陽介と勉強していると、捗ったんだ。難しいことも考えずに、集中していられた」
「……ホントに?」
「嘘を言ってどうするんだよ」
月森はくすくすと笑う。
「マイナスイオンかなって思ってたりもした」
「お前、たまに変なこと言うよなぁ」
聞いていると笑けてくる。偶にズレた発言をするのも、慣れれば良いキャラクタだなと思えた。千枝の言った『天然系の魅力』というのが、そのまんま自分にも当て嵌まって、どうにも笑えなかったのだが。
笑い終えて顔を上げると、月森はじっと銀色の目でこちらを見ていた。
「どうした、月森?」
「何でもないよ。始めようか」
細長い指先が、参考書に伸びた。そのまま、ページを繰る。優しい響きが鼓膜を揺らす。彼が言うように静かで心地の良い、二人きりみたいに錯覚してしまう空間だった。
*
言われた問題を解き終えて、伸びをした。集中力がある方だとは思っていなかったのだが、傍にいるのが彼だけだと思えば、それなりに集中力も発揮出来るものであるらしい。伸びをしたまま天井を仰いで、周囲の状況をそれとなくチェックする。日も落ちてきて、人は疎らになっていた。
「終わったー……」
言っても反応がなかったので、おやと思って前を見ると、月森は机の上に乗せた腕に突っ伏して、寝息を立てていた。
「なに、珍しーじゃん」
いつもは余り隙がない。授業中にも寝てしまう陽介とは対照的に、いつだって背筋を伸ばしていた。休み時間、休憩を問わず、こんな風にしているのを見るのは初めてだ。
「おーい、月森くーん」
小声で呼び掛けてみたが、反応がない。
(熟睡できんだな、こんなとこでも)
育ちが良いのだろうか、場所が変わると寝付きにくいと話していたことがある。
(つか、林間も修学旅行も、天城屋旅館でも、よく寝てた……よな)
微妙に話の整合性が取れない気がしたが、ともかく今は、引越しの準備やら何やら、忙しくて疲れているのかも知れない。昨夜も外にいたし、ジュネスで買い出しでも行こうとしていたのだろうか。舞い上がっていた為に、ちっとも気付かなかった。
「つーきもりー」
名前を呼ぶことに、些か抵抗があるのは事実だ。端的に言えば、恥ずかしい。しかし彼の名は綺麗だと思うし、呼びたくないとは思わない。けれど、それに慣れてしまったら、と思ってしまうのだ。意識して、彼のことは苗字で考えている。
「起きろよ、……柚樹」
ぽそりと耳元で囁いてみた。なんちゃって、とか思っていると、ぱちりと瞳が開く。銀色の目が、瞬きを重ねた。
「今、名前で呼んだ?」
「……よく休んでたな、センセイ」
じっと銀の視線が傾けられる。悪かったな、と羞恥を抱えて喚くと、月森はまた近付いてきて、互いの額を軽く触れさせた。嬉しいよ、と言う吐息が鼻先に掛かる。
(甘、すぎ)
胃と脳と胸が、焼けて可笑しくなってしまいそうだ。
「く、暗くなってきたな。結構、人も減ってきたし……」
「これ、採点終わったら帰ろうか。送るよ」
「へ? い、いいって」
「昨日みたいなことがあったら心配だから、送らせて欲しい」
スイ、と手が伸びてくる。陽介の手の甲にそっと指先が重ねられた。懇願する響きはどこか必死な様子があり、それでいて、砂糖菓子みたいに甘いのだ。
(昨日の言い方と同じだ)
付き合って欲しいというあの甘さを、自分の脳は忘れられないのではないかと思った。
*
それから殆どの時間を、月森と共に過ごした。テストが近いからとバイトのシフトは減らしたし、月森も他に用事があるということは殆どなかった。図書室にいたり、ジュネスに行ったり、愛家に行ったり、陽介の部屋に行ったり。時折、恋人という言葉を意識してぎこちなくなることはあったが、それにも段々と慣れてきて、名前を呼ぶのも平気になった。こんな時間が永遠に続けば、と思うと、酷く切ない気持ちになる。
(柚樹がいなくなるまで、だから)
永続する関係ではない。だからこそ、月森は飛び切りというように甘いのかも知れないと思うようにもなっていた。別れる前の思い出ならば、硝子細工みたいに透明で綺麗な方が良い。一層、儚ければ儚いからこそに輝く。日増しに痛む鼓動の針から目を背けて、陽介は現在を享受しようと決めていた。別れても、繋がりが絶たれる訳ではない。それでも友達でいられるだろう。いつかまた、同じように隣を歩いていられるのならそれで構わない。そういうのを恐らく、刹那主義とでも言うのではないだろうか。
「あ、花村先輩。今日は月森先輩と一緒じゃないんですね!」
「いつも一緒みたいに言うなよな、りせ」
「違いましたっけ」
今日は用事があるから、と月森は早めに下校してしまった。りせの言ではないが、独りで帰るのは久しい。だからと言って、直ぐに代わりの下校相手が見付かる訳でもなし。りせがそのまま出て行く様子だったので、偶には後輩と帰路を共にしようかと、隣に立った。
「今日は用事? なんかそわそわしてっけど」
「えっへへ……実は、前にお世話になった人の依頼で、ちょっとだけ広告に出るの」
「アイドル休業中なんじゃなかったか?」
「春くらいには、徐々に復帰したいから、そろそろ準備しないと――それに、その広告がすごくステキで!」
りせは大きな瞳をきらきらと輝かせた。
「アクセサリーのCMで、大好きな彼から、指輪を貰うって設定なの」
「指輪?」
大きく頷くと、りせはピンク色の携帯を鞄から取り出して、写真を見せてくれた。そこには、ピンク色の石が嵌め込まれた、可愛らしい指輪が写っている。指は恐らく、りせのものだろう。
「ね、見て! 可愛いでしょ、先輩!」
「おー、りせに似合ってんじゃん」
「でしょでしょ? これ見たら、CMやりたくなっちゃって……」
アイドルと言うよりも、女子高生のような愛らしい表情に、心が和んだ。やはり、りせは可愛い後輩だと思う。アイドルとして一級品なだけではない。陽介にとって、そして月森にも千枝にも雪子にとっても、可愛い後輩であり、仲間だ。
「でも憧れちゃう……りせも月森先輩から指輪とか貰いたいなぁ」
「はは……アイツなら似合いそう」
渡すも受け取るも、気障な外見には似合いだろうと思った。
「チャクラリングくらいなら、いつでもくれそうだぜ?」
「そんなんじゃダメ!」
「知ってるって」
りせはまた写真を見詰めて、うっとりと瞳を細めた。
「やっぱり、貰うなら指輪だよね」
「なんか、こだわりでもあんの?」
「こだわりって言うか、ほら、永遠の愛を誓うって感じだし」
(永遠の愛――)
ずきりと胸に突き刺さった。陽介の手元にあるのは、時限のある恋だけだ。
「好きな人から貰うなら、ネックレスよりも指輪がいいなぁ」
「……そっか」
指輪か、と思う。前に持っていたプレーンリングは、最近ではちっとも嵌めていない。
「ずっと恋人だよって、言ってくれてる気がするもん」
*
「陽介、手、出して」
月森がいなくなるまで、一週間もないホワイトデーの日、バレンタインのお返しをと考えて、陽介は彼を家に呼んだ。そこで用意していたクッキーを渡して、バレンタインのチョコクッキーは本当に美味しかった、と礼を言った。彼は、陽介の好みに出来ていたなら何よりだとだけ笑った。そして、一瞬躊躇うようにしてから、そう言ったので、陽介は言われた通り、おずおずと右手を出した。
「俺からも、ホワイトデー」
そう言って、月森はシルバーチェーンのネックレスを掌に乗せた。ペンダントトップは、シンプルなデザインの細身のリング。中心にはダイアモンドのような石が輝いている。
「バッ……ホワイトデー貰うようなもん、あげてねぇだろ!」
動揺して声を上げても、月森はにこにこと笑っている。
「あんなの、余りだって」
「でも、貰ったことは事実だし、嬉しかったから」
「だからって」
貰えないと突き返そうとしても、月森は緩やかに首を振る。
「あぁ、値段とか気にした? 平気。それ、俺が持ってたんだよ。俺の持ち物を、陽介に付けて貰いたいなって思って。それだけ。気にすることないだろ?」
言うと、月森は握り締めている陽介の右手を解いた。燦然と輝く石からは、安価ではないと感じさせられるが、持っていた物だと言われたら、返す言葉もない。月森は陽介の手からネックレスを取ると、首に掛けてくれた。
「ずっと付けてなくても良いよ。貰っておいてくれれば。でも、そうだ――、もしもどうしても気になるって言うなら、陽介も、持ってるアクセサリーとかを一つ、俺に頂戴。前にプレーンリング持ってたしさ。何でも良いんだけど、そういうのあるんじゃないかなって」
「……ある」
陽介は机の抽斗を開けた。小さな箱に入ったペンダントのことを唐突に思い出してしまったのだ。箱から取り出して、月森の掌に乗せた。貰ったネックレスと同じくシルバーのチェーン。控えめなクォーツが輝くのは、月を模した造形だった。
「これ、使ったことないんだけど……お前に合うかも」
「ムーンストーン?」
「む、昔に買ったんだけど、付けたことはないんだよ。その……気障っぽいし。ムーンストーンは六月の誕生石! 気に入って買ったんだけど、付けてねぇの。つか、プレーンリングも結局付けてなかったくらいだしさ」
本当は、それは、昔と言う程でもない、割と最近、買った指輪だった。月森を好きだと自覚して少しした頃、今考えると馬鹿な行動だと思うが、月の形を見て、無性に彼のことを思い出したのだ。それで、釣られて買ってしまった。決して安い物でもなかったのに。
「それでよかったら」
あげたいと思った物ではないけれど、月森が持つのが相応しいように思えた。どうだろうか、と顔色を窺おうとすると、月森は俯いたまま、身体をかたりと震わせている。指先が、掌に食い込みそうなくらいにきゅっと握られていた。
「嬉しい」
たった一言。けれど、上げられた顔には喜色と呼ぶべき色がはっきりと浮かんでいた。思わず、くらくらと落ちてしまいそうに思う。
(そんな、顔)
「……嬉しい。チョコもコレも、交換だな」
月森は素早く首にネックレスを掛けた。やはり、綺麗な顔には良く似合っている。大事にしろよ、と愚問みたいな言葉を呟いた。胸が苦しくて、ますます彼が直視出来ない。陽介は自分の首に掛かっているネックレスの先に触れた。丸い形はリング状。
(指輪――か)
永遠の愛が宿る、女の子の憧れ。月森がアクセサリーを選んだのは、きっと、陽介がプレーンリングを持っていたからだろう。都会に住んでいたくらいだから、ファッションには気を使うだろうしとか、そういう感覚でネックレスを選んでくれた。
(なに、馬鹿な期待してんだ)
貰うつもりのなかったホワイトデーを用意してくれた。それだけでも十分過ぎるくらいに幸せなことなのに、心はもっと、と求めている。春なんて来なければ、別れなんて来なければ。そうしたら。
そうしたらきっと、永遠の愛を見られたのに。
(違う……『そういうこと』じゃない)
元々、期間を定めて付き合うというのは、彼がいなくなってしまうからという理由ではない。最初から、永遠なんて来ない。だから、それを知っているから、月森はそう言ったのだ。今は確かに恋人かも知れない。けれどそれは、永劫未来続くものではないのだ、と。指輪があれば、そうであるというものではないのだ。象徴的ではあるだろうけれども。嬉しいのに泣きたいと思った。指輪にもネックレスにも悪気はないけれど、突き付けられたような気がしたのだ。
「もしダメじゃなかったら、プレーンリングも欲しいな」
「え? あぁ……別に構わねぇけど」
月森に、戦闘では別のアクセサリーをつけるから、と言われて以来、持ち歩いていない。しかし、捨てた記憶もなかったので、どこかにあるのだろう。割と整頓している方なので、アクセサリーなら同じ場所に固めておくだろうと思って、同じ段を注意深く探せば、抽斗の奥の方にリングは眠っていた。まだ綺麗だ。ここに来る前に買った物で、別に、高価なものでもない。そんな物で良いだろうかと躊躇いがちに渡すと、月森は、今度は深く染み込んだような情愛深い笑みを浮かべた。
「サイズ、合わないかも」
「良いよ。これと一緒につけておくから」
月森はネックレスを外すと、そこに指輪を通した。
「これで」
にこりと笑う。陽介は、ネックレスにつけられた指輪をきゅっと握り締めた。
「小指になら嵌められるかな」
陽介は指が細いから、と言いながら月森は手を取った。指の太さを確認するかのように、長い指が一本一本をなぞる。その空間が暖かすぎて、眩暈がした。
*
「付き合ってくれて有難う」
「や、別に、そんなん構わねぇけど……やりたかったことって、サボリかよ」
月森は冷えたコンクリートに座って、楽しげに笑っている。付き合って欲しいことがあると言われて、何事かと思えば、午後の授業をエスケープしようと言われた。
「本当は、学校からエスケープもしてみたかったんだけど」
「ドラマちっくすぎだろ、それ」
「陽介も座って」
冷えてるから嫌だなと思って立っていたのだが、月森の笑顔に勝てずに、結局腰を下ろした。綺麗な笑顔なのだが、人に有無を言わせないことがあるのだ。非常に不思議だが、ある意味それを、人はカリスマと言うのかも知れない。
「さみぃ……」
「はは。もう、直ぐに暖かくなるよ」
月森はゆっくりと瞳を細めた。
「すぐとか」
「春はもう直ぐそこ。俺達は受験生になるんだな」
「うええ……それ聞いたら、一気に嫌な気分に……」
もっかい二年やりたい、と項垂れると、月森はぽんと背を軽く叩いた。
「時間は戻らない」
だから一瞬一瞬が大切なのだ。そんな簡単なことに、気付かずに過ごしてきてしまった。早紀が永遠に失くしてしまったものも。自分はどれだけを、取り零さずにいられたのだろうか。
月森と過ごす日々は、もう少ない。付き合って欲しいと言われたあの日から、今まで何をしていたのだろうかと思うほどに、一日に一生懸命になった。逃してしまって後悔しないように、彼といられる日々に必死で手を伸ばしていた。もっと早く言えば良かったのだ。そうすれば、たった一ヶ月だけではなかったのに。
「……受験生とか、ヤだから、まだこのままでいたいよな」
仮託した言葉に月森は笑って頷いた。モラトリアムだ、と、聞き知らぬ言葉を使う。
(時間は、戻らないんだ――)
肩に凭れると、眠いの? と月森は囁いた。
「メシ食うと眠くなる」
「二人で寝てようか」
「怖ッ。つかそれ、何かアブネー気が……」
「凍死するほど寒くはないよ」
「生命の危機かよ、リアルな危険だな。じゃなくて」
屋上でサボって二人で肩を寄せ合って眠っていたなんて、学校中に広まってしまうと、陽介の今後の学校生活に支障が出る。
「柚樹」
「どうしたの?」
いつか聞こうと思って、今でも聞けないことがある。
付き合ってと言った、あの言葉の意味。聞いて落胆したくない。そうなるくらいなら、最初から、甘い期待なんか抱かずにいる。今度こそ聞こうかと思ったが、やはり言えずに、何となく首を振った。月森は不思議そうに首を傾げる。
「あれ、陽介、前髪に何かついてる」
と、右手がひょいと伸びた。
(へ――?)
「花弁なんて、どこから――」
小指に銀色が光ったのが見えたので、思わず手首を掴んだ。
「それ、あげたやつ……?」
「ここって、アクセサリーとかも煩く言われないんだよね。制服も結構、自由だし。試してみたら、小指になら入ったからさ。似合う?」
(似合うってか)
顔が紅くなったのが、自分で分かった。
「ネックレスは付けてないけど、ちゃんと胸のポケットに仕舞って――」
「持ってる」
「え?」
「貰ったの、俺も持ってる」
学ランの中に着ているパーカーのポケットに、こっそりと持ってきていた。首に掛けると、誰かに見付けられるかも知れないと思って、隠すように持ってきた。誰からも見られないように、そして、月森にも言うつもりはなかった。
ポケットから取り出して彼の目の前で揺らすと、月森が息を飲んだのが分かった。陽光に銀色がきらきらと輝いている。月森は、手を伸ばして、陽介の頬に触れた。少し瞠目したかと思うと、そのまま俯く。
「ゆ、ずき?」
ほんの数秒、彼はじっと顔を下げて黙っていたが、陽介が呼び掛けると、指を離し、ぱっと顔を上げて柔らかく微笑んだ。
「有難う、大切にしてくれて」
「あ、あたりまえだろ!」
「陽介は、貰い物とかプレゼントを、大事にするタイプだよね」
「そりゃあ、なんつかその……相手の想いが込められてるワケ、だし?」
「うん。そういうの、良いと思うよ。陽介の美点。――大事にしてね、ずっと」
いなくなってもきっと、見る度に思い出すのだろうと思う。この甘い想いを、共に過ごした優しい空気を。
(見る度に凹んだりしてな)
この指輪も、嵌めようと思えば小指に入るかも知れない、と少し思った。自分の持っていたリング程度の大きさはある。小指では余るかも知れない。試す気はなかった。
*
事務手続きが色々あるからと呼び出されて、月森は職員室に行った。手持ち無沙汰の陽介は席で彼を待っているだけだ。
「リーダー待ち?」
「まぁな」
「ここんとこべったりだったもんね。ま、親友がいなくなるってなら、気持ち分かるけど」
「ほーお、里中サンでも、天城がいなくなったら落ち込むワケだ」
「アタシでもってなによ。アンタよりも凹むっての! 雪子とはずっと一緒だったんだから」
「――たった一年か」
千枝を責めるつもりもなく、何となしにぽつりと言葉が出た。
「あ、ごめ、そういう意味じゃ……」
「別に怒ってねぇよ」
「アンタとリーダーはさ、一年でも、違うと思う。なんだろ、特別じゃないかな」
まるで自分が言ったことを聞かれていたかのような発言に驚いた。千枝は腕組みして、うんうんと頷いている。
「えっと、だから……ほら、皆アンタに遠慮してたってか……逆かな。リーダーがアンタを選んだっていうか」
「意味わかんねー」
「そ、それよりさ、アンタ、親友なら、リーダーの好きな人のこと、知らない?」
「す――好きな、人?」
どきりとした。一瞬、自分のことを言われているように錯覚して、そうと決まった訳ではないと戒める。
(好きとか、聞いたことねぇし)
「さ、さぁ……聞いたことねぇよ」
フイと顔を背けると、やっぱかぁ、と千枝は呟いた。
「つか、なんで急に、んなこと!」
反応に困るので止めて欲しい。月森は陽介の好きな人で、一応、付き合っている相手で、けれど真意を知らない――知りたい存在だ。
「里中、なんか知ってんのか」
ぐるりと向き変えると、千枝が慌てたように両手を振った。
「え? あ、アタシは別に」
視線を逸らしたが、目が泳いでいるのが見て分かる。
「言えよ」
じぃっと見ると、観念したように千枝は溜息を吐いた。
「アンタには言うなって言われてたから、知らないだろうと思ったんだけど、気になって」
「だから、なにがあったんだっつの」
「ホワイトデーのちょっと前なんだけど、リーダーに、聞かれたの。好きな人に指輪を送るのはどう思うかって」
「ゆび……わ……?」
「そん時に、相手はってかなり聞いたんだけど、全然ダメで。リーダーって、ちょっと天然入ってるし、優しいし、なんでもサラッと喋ってくれそうなのに、案外、ガード硬いわよね」
「それ、で?」
千枝はまた、逡巡するように瞳を巡らせた。
「だからさぁ、花村には言うなって言われてんのよ」
「ここまで来といて、今更言うも言わないもねぇだろ」
思わず手首を掴むと、千枝は驚いたように少し身を退いた。
「マジにならないでよ。ってか、本人に聞いて」
「里中!」
「うぅ……、リーダーには内緒だからね。それと、心当たりあったら教えなさいよ」
「分かった、約束する」
「うし、共犯よ。アタシも相手が気になっちゃってるんだよねぇ」
千枝はほんのりと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「アンタの口が軽いから、流石に警戒してんじゃない? なんか、片思いっぽかったし、言う前にバレたら困るとか」
(片思い――)
その言葉に、胸がずきずきと痛んだ。その一言で、これ以上、千枝の口から何かを聞いても、幸せなことはないのだろうと悟る。
(でも……知りたい)
月森の心を知りたい。もしもあんなことを言い出した彼の真意が分かるのなら、それを知りたいと思った。否、自分は知らねばならないだろう。早紀の死を乗り越えたように、現実を直視しなければ、前に踏み出すことは決して出来ない。甘い幻想の波に攫われているだけでは、自分を見失って溺死するだけだ。そう、示してくれたのは月森だった。盲目になっていた陽介を解放してくれて、胸まで貸してくれた。あれから何を返せただろうかと思う。今でも、後悔してばかりだった。
「冗談よ。もー、リーダーのことになるとアンタはさぁ……リーダーがアンタのこと、そんな風に思ってるワケないじゃん。恥ずかしかったんじゃなぁい?」
「あんま、そういう話とかしねぇからな」
「ふぅん。アンタそういうの食い付きそうなのに」
「里中さん、俺をなんだと思ってます?」
「でさ、バレンタインになにか貰ったのーって聞いたワケ」
「スルーすんな」
陽介の声など聞いていないかのように、千枝はにこにこと話を続ける。皆の憧れ、頼れるリーダーの恋バナに食い付いているのは、寧ろ千枝の方らしい。目が輝いている。
「言葉濁してたけど、本命チョコ貰ったってのとは違うみたいね。でも、なにかお返ししたいらしくって」
「ホワイトデーだから?」
「多分、口実ね、あれは」
千枝は当を得たと言わんばかりに、人差し指をピンと立てた。
「じゃなきゃ、本命チョコでもないのに、お返しに指輪なんて考えないでしょ」
「そら、確かに……」
「指輪は重いかなって聞かれたの。なんだったかな……なんか、沖奈で似合いそうなシルバーリング見付けたから、それを贈りたいって思ったんだって。サイズ分かるのって聞いたら、ちゃんと左の薬指をチェック済みって。流石リーダー、抜け目ないわよね」
(銀の指輪――?)
ポケットに入れた銀色のネックレスが、はたと頭に浮かんだ。
「なんか言い方がさ、恋人のようなそうでもないようなっていうか、曖昧だったから、両思いなのか聞いたんだけど、本人も本当は良く分からないって。ま、あのリーダーが好きだって言ったら、誰でもオッケーしそうだけどね。でも、片思いなら特に、指輪は重いかもって気にしてたんじゃないかなー」
言葉を挟めずに押し黙る陽介と対照的に、千枝は少し頬を赤らめながら言葉を続ける。
「リーダーさ、喋ってる時、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい、ベタ惚れって顔してたから、もう気になって気になって……! いつも優しい感じだけど、比じゃないわね。とろっけるみたいに甘い顔! しかもさ、薬指の指輪ってちょっとプロポーズみたいじゃない? ここ離れること気にしてたし、離れても――って思ったんだろうねぇ。でも、遠距離になるから何も言えずに、指輪に想いを込めるだけ、ってことみたい。いや、青春ねぇ。――って、花村? 聞いてる?」
「わ、悪い、里中……心当たり、ねぇわ」
「は?」
頭が働かない。始まった時みたいに、脳がショートして焼き切れてしまいそうだ。
(なに、勝手な期待、して)
「ちょっ、どこ行くのよ! リーダー待ってんじゃないの!」
「屋上! 着たら伝えとけ!」
「なによ勝手にもう」
「今度、肉丼奢っから!」
「しっかたないわねぇ」
教室のドアを開ける。くらくらと眩暈がした。視界が白い。
*
いなくなるまで。離れるまで。たったそれだけ、傍にいられたらと思った。
「陽介、里中から伝言聞いたんだけど、どうして屋上に」
「指輪。チェーンに通してあるから、ネックレスのつもりでくれたんだと思ってた」
暮れる紅い光に、銀色が染まる。
「でもまだ嵌めてない。嵌める勇気がないんだ――」
きっと、や、恐らくでは足りない。自分の言葉も思考も信じられない。
「違ったらって」
(怖い)
「……里中から、話を聞いた?」
頷くと、喋ったら駄目だって言ったのに、と月森は苦笑した。
「チャクラリングが、薬指にぴったり嵌ってたのを、隣でずっと見てたんだよ」
そこに嵌めて欲しいって、思ってた。
月森は近付くと、陽介の手から指輪をそっと奪った。力なく下がっている左手を取って、薬指を撫でる。
「言わないで、いなくなれば良かったのに。困らせるって分かってたのに、陽介が、見たこともない男に話し掛けられてるってだけで、頭が真っ白になった。馬鹿だったよ、勢いであんなこと言うなんて」
「なん……で……いなくなるまで、なんて」
「陽介なら頷いてくれると思ったから。その先まで、陽介の時間を奪うことは出来ない。そう思った。でも、あんまり陽介が、恋人みたいに笑ってくれるから――幸せで。幸せ、過ぎて。ずっとって、願いたくなったんだ。気付かなければそれでお終いにするつもりだったのに、里中は案外、お喋りだ。後で、文句言ってやらないと」
「……ばか」
そんな、蕩けるみたいに甘い顔で文句なんて、誰にも言えっこない癖に。
「里中とかじゃなくて、そーゆーのは……本人に言えっつの」
「指輪は重い?」
「今更、なにを……」
本人にって言ったのに、と月森は笑う。
「こうして嵌めるのを、期待してくれる?」
指輪はぴたりと薬指に嵌った。
甘い話書くのは好きです! それにしてもこれはひどい!