初春の風は冷たい。身を切る様な寒さに指は凍える。陽介が真っ青に染まってしまった爪を見ながら指先に息を吹き掛けると、隣の月森が「寒そうだね」と人事の様に呟いた。
紅い鳥居には、普段は人も少なく、夜見れば木々の擦れる音に背筋を凍らせる。そんな寂れた辰姫神社も、願いの叶う絵馬が有名になって、いつの間に来訪者も増える様になったのだと、噂に聞いていた。それでも普段はやはり神社だ。住み着いているという、テレビの中でも尽力してくれるキツネ以外に、賑わいを見せる様なことはない。夏祭りと、こんな時位だろう。
「結構、人がいるね」
「だな。ツネ吉も喜んでんじゃねぇの?」
ここに住まうキツネが、賽銭を待っているということは月森から聞き及んでいるし、守銭奴であることもテレビでの戦いを通して知っていた。見た目よりも、もふもふとした狐毛も触り心地は悪くない。撫でてやると喜んでいる様は、丸でペットの犬様だ。常に先頭を走る陽介は知らないが、待機メンバーは偶にキツネを連れてダンジョンに入っている。その際はお付きということもあって、無料で回復してくれるらしいが、出会った月森等からはちゃっかりと金銭を受け取る所は商魂逞しい。意外と、商売繁盛に効果があるかも知れないので、後でジュネスの繁盛を願っておこうかと陽介は少し思った。
和装の女性も中々にいて、赤い振袖に金の縁取り等、見目非常に鮮やかだ。それが、狭い境内の中に何人も見られるので、正月から非常に眼福だと言えよう。陽介が「来て良かった」と燥ぐと、月森にコツンと額を人差し指で叩かれた。
「陽介は俺といるのに、他の女の子に目をくれちゃうんだ?」
「バッカ、これは目の保養だっつの」
着物の女の子は二割増し(陽介比)に美人に見える。アップにした黒髪のほつれ毛や項が見えるのが、非常に良い。皆が大和撫子に見えるのも良かった。隣で眉間に皺を寄せて膨れている月森にも、どの子が好みだと聞くと「陽介くんが好みです」と不機嫌そうに言われる。
鳥居を潜ると、神社の主と言っても過言ではないキツネが草陰から躍り出てきた。ぎょっとしている内に、月森の足に身体を擦り寄せてくる。
「おぉ、モテモテじゃん」
「俺が手伝ってるの知ってるからなぁ、コイツ」
「そんなモテモテじゃ、妬いちゃうぜ?」
「それは光栄」
月森は屈むと、キツネの頭をするりと撫でた。とても優しい目をするので、本当に妬いてやろうかと思いながら、陽介も屈んでキツネに手を伸ばす。相変わらず、猫よりも少し硬めの毛だが、艶があって、縫いぐるみの様な柔らかさがあった。撫でられて気持ちが良いのか、キツネはくぅんと声を上げる。
初詣の神社でキツネを撫でているというのも、一般的な光景だとは思い難いが、各々、賽銭箱や鈴鳴らしに夢中な詣で客は、陽介や月森の様子に気を留めていない様だった。こうして二人と一匹で片隅にいると、年が明けたなんてことは忘れてしまいそうになる。まだテレビの中で傷を回復して貰おうとしているだけみたいだった。ゆっくりと感傷に浸っていると、キツネは急に身を震わせた。
「ツネ吉どした?」
そうして二人の手から離れると、俊敏な獣の動きで社の奥へと走って行く。
「絵馬でも取りに行くのかな」
「絵馬? 今日なら絵馬なんて山ほどあんぞ」
普段から絵馬を下げる場所はあるのだが、余り利用者は多くない。しかし新年の挨拶となれば、気合を入れて絵馬を書く者も少なくはなかった。そこでも1枚分ずつ賽銭が増えていくので、キツネからすれば万々歳のことなのだろう。
元々、キツネと会う為に神社にやってきた訳ではない。初詣に辰姫神社に行くから陽介も行かないか、と電話を貰ったので、御節料理も早々に家から抜け出してきたのである。月森とと言えば必ず付いてきそうだったので、クマにはちょっと出掛けるとしか言わないで来たが、初めての新年を満喫している様だったので、放っておいても平気だろう。詣でに来たという意味では、二人も、この賑やかな装いの人々と同じだ。
「取り敢えず、お参りしようか」
「んだな」
ほんの申し訳程度、4、5人が並ぶ列に揃って足を進めて、前の人達が真剣に手を合わせている様を見た。新年から願うこととは、何が相応しいのだろうかと思う。去年はここで初詣はしていない。去年の自分が願ったことを、陽介は自分で忘れていた。きっと、彼女が欲しいとか、そんな他愛もないことだった筈だ。1年前と比較して自分が劇的に成長したと思う人間もそうはいないだろうが、陽介は1年前の自分と違うことを意識している。ほんの1年でも人は変わるのだと知った。
(結局、コイツのお陰なんだろうけど)
月森と出会い、テレビの中へと入り、多くを学び、戦い、――連続殺人事件を解決に導いた。彼と出会って、半年と少し経つ。陽介の前を彼はいつも走り、その背を追い続けていた10ヶ月だった様に思えた。
「1年前の自分って、何か、別人みたいだよな」
「へぇ、お前もそう思うんだ」
前に並んでいた小学生とその両親が賽銭箱の前に歩み出る。少年が、からからと鈴を鳴らした。弱々しい音に不満気に両親の方へと振り返り、母親が今度は力強く鈴の音を響かせる。カランカランと、正月にしか殆ど聞かない音が響く。
「陽介と出会って、すっかり変わったよ」
「えー……それ、俺が前に言ったセリフじゃね?」
「俺もだって。信頼出来る仲間や掛け替えのない絆なんて、必要だと思ったことなかったし。大切な相棒の存在とか」
こちらを振り返って、月森はにこっと笑った。
「相棒だけ?」
賽銭箱の前に人がいなくなった。
「何よりも大切な恋人も出来た」
こそっと耳元で囁いて、月森は数歩前に出た。聞いた自分も大概だが、相変わらず恥ずかしい言動を真面目に言うので、陽介はいつも反応に困る。困れば、困る様が見たいのだと笑うし、ムキになって遣り返そうとすれば、積極的なのも嫌いじゃないと言われる。どう足掻いても勝ち目が見えてこない。何とも言えずに立ち尽くしていると、月森が振り返って手招きした。後ろつかえちゃうよ、と。
賽銭には演技が良いから5円、と母親からずっと聞いていたが、最近ツイッターで回ってきた情報に拠ると、どうやら10円の方が良いらしい。陽介がジーンズのポケットから財布を取り出そうとすると、月森がいきなり手を取って握らせた。ふふ、と笑みを浮かべている。
「はい、10円玉」
「……賽銭奢られてどうすんの」
「俺が、陽介の分もお祈りしたいんだ――ってのは冗談。これ、皆で戦って得たお金だから、出所としては問題ないだろ」
「なるほど」
「まぁ、俺は陽介のことをお祈りするんですけどね」
「いやいやいや、そこは自分のことにしとけよ」
「陽介は、どうする?」
くすりと月森は笑ってこちらを見た。
「どうする? 俺の分と自分の分、二人分のお願いする?」
「……相棒のことをお願いします」
「宜しい」
これでプラマイゼロだから、と月森はにこにこにこにこ笑っている。多分、陽介が自分のことを祈っても、「陽介は欲張りだなぁ」と言うだけなのだろうと思った。宣言しなくてもきっと平気で、陽介のことばかりを願う。そういう人なのだと誰よりも良く知っていた。
投げ入れた10円玉がカコンカコンと鈍い音を立てながら、木の内側に落下していく。月森が投げ入れたのを見て、陽介もぽんと投げ入れた。月森が鈴を鳴らし、両手を叩く。それを見届けてから、陽介も同じ様に鈴を鳴らし、手を併せた。神社での参拝の仕方を聞いた気がするが、記憶に留めていない。
(なに、祈れば良いんだよ)
月森のことと言っても、何を祈るべきなのか分からなかった。在り来りだけれども、無病息災。学生らしく、学業成就。否、四字熟語に限る必要はないだろう。
(ずっと、隣で――いれたら)
そう思って、それでは自分の為の祈りに過ぎないかなとも思った。それでも良いか、と思う。
「陽介、長い」
腕を引かれて驚くと、白いショートコートの良く似合う月森が、グレイの瞳を細めてじっと陽介を見ていた。慌てて賽銭箱の前を避けると、後ろにいた女性二人が前へと進む。
「恥ずかしいだろ、何をそんなにお願いしてたんだ」
「や、なにを祈ればいいか考えてただけだっての」
「そんなに、俺のこと考えてくれたんだ?」
月森のことと言われれば確かにそうなのだが、何だか違う気がしないでもない。即興で人の願い事を考えるのは難しいことだろう。意趣返しする様に、お前は早かったよな、と腕を解きながらむぅっとして返した。
「俺は決めてあったから」
「へぇ、どんな? あ、商売繁盛とか?」
そう言えば、ジュネスの商売繁盛も祈っておけば良かったと、今更に陽介は思い出した。仕方ないので、そちらは個人的にキツネでも拝んでおくことにする。
「内緒。こういうのって、言うものじゃないだろ」
陽介の手首を掴むと、月森は背を向けた。どこへ連行するのかと思えば、道なき茂みの方へと足を向ける。
「ちょ、なんだよ、おま……どこ行く気だ」
「キツネが戻ってこないのが気になって」
「またツネ吉かよ。本当に嫉妬しちゃうぞ」
「歓迎します」
歓迎って。陽介が脱力しているのも気にせず、月森は社の裏手へと足を進める。手首を拘束されている陽介は、それに従う他なく、引かれるまま、月森に付いていくだけだった。言葉は少ない。
普段は進まない茂みの向こう側に向かう様は、どこか幼少の秘密基地とか探索とかを思い起こさせ、そして同時に、テレビの中のダンジョンを歩く気持ちにもさせた。どうしたって陽介のことを放さない手。構わずに前へと突き進むだけの意思。
(この、手が……)
つい感傷に浸る。1年前を思えば、1年後を思う。月森は3月にはいなくなってしまうし、1年後、ここでまた初詣することは叶わないだろう。ずっととは祈っても、気持ちが変わることを止めることは出来ない。1年の最初から辛気臭いと思わないでもないが、どうしたって、思考が行き着いてしまう。行かないで欲しいとは我儘を言わない。自分達は子供だから、陽介が都会から八十稲羽に来なければならなかった様に、月森にも同じだけの事情はあるのだ。仮に、行くなと言って叶うとしても、陽介は決してそんなことを言わないだろう。彼にとって重要なのは、この場に留めておかれることではないから。
花村家では、正月は親戚で集まりがあった。バイトしているからとお年玉は余り貰えないし、面倒ばかりだと来る前にも愚痴った。特に父方の祖父はたった一人の孫である陽介を猫可愛がりしており、陽介を喜ばす為に、態々本を買って寄越してくれたのだ。店員さんに見立てて貰ったと言う祖父に、普段本を読まないとは言えずに困ったと言ったところ、月森は自分は物心ついた時から祖父がいなかったからそういうのは羨ましい、と言った。
(なんか、地雷ばっか踏んでる気ぃするし)
祖父母がいないなんて普通だし、気にしてないと月森は言い、次いで、微笑んで「陽介は幸せな家庭で育ったんだろうなって思ってた」と言った。だからこんなに真っ直ぐで優しく育ったんだ、と、頬に触れながら言われて、思わずクラッとしてしまったのである。気障なセリフが似合うと言うより、最早、気障なセリフしか似合わないとしか思えない。そしてそう言う月森は、家族的な愛情に飢えている部分があるのではないだろうかと感じた。菜々子や堂島を案じる姿に、家族への深い愛を感じていたから余計に、だったのかも知れない。
「あれ、キツネいないな……どこ行っちゃったんだろ」
「ツネ吉だって、ずっとここにいるわけじゃねぇだろ」
「賽銭があんなに貰えるのを見ていない訳がないと思うね」
「さいでっか……ってさむっ! 人いねぇから余計にさむい……」
「陽介が薄着の所為だろ。コート着ないの?」
「や、中にパーカー入れてるから平気かなーと」
陽介が再び手を擦り合わせると、月森は「寒がりの癖に」と呟いた。陽介が寒さに肩を竦めていると、突然、背後からふわりと温もりを感じた。
「いいよ、着てて」
見ると月森は黒のジャケットとハイネックのニットだけになっている。着ていた白いコートが陽介の背に掛けられていた。
「や、ちょい待て、オカシイだろ。つか、寒くねぇわけ!?」
「寒いけど、陽介程じゃないから。俺、温度感覚が鈍感らしくて」
戻るまで着てて、と月森は笑う。
「カッコ付けて……風邪とか、引くなよな」
コートも月森も温かい。
(ズルイ)
温か過ぎて手放せなくなってしまう。そんな自分は狡いし、こうやって温もりを注ぐ月森も狡くて狡くて仕方がない。
「引いたら、陽介がずっと看病してくれるんだろ」
「バカばっかだな……」
「あれ、自覚あり?」
「うっせぇ」
あぁもう、と思いながら、笑う月森に口付けた。直ぐに離れようと思うと、いつの間に月森の手が陽介の首を押さえていた。社の壁に、そのまま背中が押し付けられる。月森はキスが上手い。付き合った経験はないと言っているが、翻弄されているのはいつも自分だけの様に思っていた。唯、いつもやけに情熱的なので、余裕がないという言葉は嘘ではないだろうなと思う。
(隣にいれる、ってだけじゃ)
少しずつ蕩けてきた意識の端で考える。自分の指が、ぎゅっと月森のジャケットを掴んでいるのを知覚する。瞼をきつく閉じているから、外の光景は分からない。舌が、口内が熱い。遠くでカランカランと鈴の音が聞こえる。
月森が家族の元へと戻るのが彼にとっての幸いだと思って尚、ひたすらに離れ難くさせる。やっぱり月森は狡い。馬鹿みたいに甘くして、きっと、陽介が「行かないで」と、言ってくれるのを待っているのだ。温か過ぎる2つの手は、陽介を掴んでじっと放さない。
右の指先が後頭部に触れた。さらりと髪を掻き上げる様に動く。
狡い、と、もう一度だけ思った。
勢いで書いたわりにはそれなりに気に入っていないこともない。
主花がいちゃいちゃしてると安心しますね! 冬でも温かい!
初春と別れの春とかけてみたんですけど、春情にすると、意味が色情になっちゃうらしいので…笑