三月二十日――マヨナカテレビの元凶であるイザナミを倒し、テレビの中の世界は浄化されたように綺麗になった。クマはまた、ここに戻ると言っている。その言葉に一抹の寂しさは感じるものの、二度と会えない訳ではない。陽介はクマが自分で決めたことを尊重しようと思っていた。
「皆、ありがとう」
イザナミとの戦いでも、最後まで独りで立っていた月森。改めてすごいな、と陽介は実感していた。取り払われて地面に転がってしまった眼鏡、背筋を伸ばしている姿、こちらに振り向いた時の凛とした眼差し。その全てが目に焼き付いている。立ち尽くす仲間たちは、その一声にリーダーの方に視線を移した。
「最後まで皆に助けられた。俺が一人でなかったら、勝てた――ありがとう」
正にリーダーらしい、と思う。独りでは勝てなかったかも知れないが、きっと、月森でなければ勝てなかったのだろう。陽介がそう思っていることとはまた別に、月森は特別なのだ。そんな彼の相棒としていられて良かったと陽介は思う。やはり誇らしくて、羨ましくて、けれどやはり最高の相棒だった。
笑みと共に月森が差し出した右手に陽介は苦笑する。
「握手でもすんのか、相棒? そういうの、明日でよくね?」
「それもそうか」
月森はそう言って息を落とした。今日も明日も変わりないだろうが、別れを今意識するのは早急に過ぎるだろう。
「陽介、ありがとう」
「なにが?」
色々、と月森は小さく笑った。だったら俺こそ、と陽介も簡単に返す。
感謝していることは山程あるし、言いたいことも収まり切らない。明日に明後日にとまた会えるのならば、今でなくとも思うけれど、その時間はなくなってしまう。
「きっと、陽介のお陰だった」
呟いた言葉は、晴れ渡った空に風と共に消える。感傷的な台詞は、聞かないであけた方が寧ろ良いのだろうと思い、陽介は何も言わなかった。世辞でもそう思ってくれるのは嬉しいけれど。
月森はふと気付いたように袖を見ると、感慨深そうに、学ランを着るのもこれで最後か、と言った。向こうの制服はブレザーだと前に言っていたし、恐らく、人生で最後になるのではないだろうか。それでなくても、八十神高校の制服を着るのは最後だということは言う間でもないのだ。
「帰ってくる時に着てきたらどうだ」
「流石にそれはどうだろうな」
「みんな、喜ぶだけだぜ?」
「遠慮しておく」
わざと言うと、月森は肩を竦めた。
「とりあえず、お疲れ様。明日も早いから、解散しよう」
リーダーの言葉に頷いて、仲間はきらきらと輝くテレビの中の世界を後にして、それぞれ帰路に着いた。
*
翌朝、集合場所に集まると、既に全員が揃っていた。陽介が遅れたのは、クマが大騒ぎして引っ張ってくるのに時間が掛かった為だ。集まっている仲間たちは、月森と最後まで話していたいようで、彼を囲んで輪のようになっていた。これが今生の別れではないと頭では分かっているが、寂しい気持ちは皆同じだろう。しかし、相棒として最も多く彼と時間を過ごしただろうと思われるので、陽介は輪に入るのを遠慮することにした。
そもそも、泣いたりしてはいけないのだ。こちらが泣けば寂寥感が募るというのもそうだが、離れても平気だという言葉を彼に信じて貰う為には、少なくとも相棒の自分は笑顔でいるべきである。泣きたいとも思っていないし、泣くつもりもなかったが、陽介は、そう肝に銘じていた。輪を見ていると、気の早いりせがうるうると瞳を濡らし始める。今から泣くのは早すぎんだろうが、と完二が慌ててりせを引き剥がし、りせの瞳に釣られそうになった他の仲間たちも、クールダウンしないと、と慌てたように少し離れた。飲み物買ってくるから、なんて千枝が駆け出す。
「月森君は、何か飲む? あ、えっと、花村君も……」
「だったら、お茶系のもので」
「俺はリボンシトロンな。これ、ほい」
二人分のジュース代を出すと、少し目が潤んでいるようにも見える雪子は黙って受け取り、千枝の後を追った。直斗と完二は少し離れた場所で、りせを宥めている。クマは菜々子の方にいた。菜々子の方が笑顔で、相変わらず健気でいじましいと思う。
「早かったな」
今更、何を言わなくても伝わるだろう。彼と出会ったのは一年前。もうそれだけの時間が経過したというのに、実感が沸かない。早過ぎる。明日も起きたら、月森は陽介と言って笑って、ひょっこりと顔を出してきそうだった。
「歳を重ねるごとに、年月の流れは早くなる。体感で、だけど」
「そういうんじゃなくて、怒濤のっつーことだよ」
「シュトゥルム・ウント・ドラング? ……知ってるよ」
そう言って笑うと、月森は不意に、手を出して、と言った。
「マジックでもすんの?」
言われるままに、ポケットに突っ込んでいた手を、彼の目の前に出した。昔、菜々子にしてあげたという手品を見せて貰ったことがある。こんな時でも意表をついて、やってくるかも知れないと少しだけ思った。
「いや。陽介にもこれをあげようと思って」
月森の手から陽介の掌に滑り落ちてきたのは、金色の釦。
「学ランの釦。もう使わないから。こういうの、卒業式の定番だろ?」
「あんなんまだやってんの?」
漫画などでは良くありそうなシチュエーションだが、実際にやっているのかどうかは分からない。中学の時は、そう言えば、後輩にせがまれてあげたような記憶もあるが。
「朝、テレビで見た」
くすりと月森は笑う。
「卒業でもないし」
「制服をもう使わないという意味では同じだろう?」
なるほど、と陽介は勝手に思った。釦は制服に欠いてはならない、必要なものだ。それをあげるということは、もう、制服を使わないということ。卒業とは、そういうことだ。そして、去りゆくという意味では、彼も本当に同じなのだろう。もしかしたら、女の子たちに既に強請られたりしていたのかも知れない。
(第二ボタンは、心をあげる、だったか?)
女の子が欲しがるなら二つ目の釦だということは知っている。心臓に一番近い場所。
今では釦ならばどこでも良いのだろうか。
「相棒にもあげようと思って。あぁ、皆に配ったんだよ」
欲しいと思っていた訳でもないが、記念に配っているのだというなら、貰うのも悪いことではないだろう。
「そっか。んじゃ、貰っとく」
金の釦を握り締めた。
「学校、桜咲いてたな」
「少しだけだけどな。今年はさみぃから……」
「入学式には綺麗に咲いているだろう。新入生が羨ましい」
「写メって送ってやろうか?」
「待ってる」
入学式には真新しい制服が立ち並ぶ。傷一つない金色の釦が、陽光に輝くのだろう。
八十神高校の学ランの釦は、上から五つ。腕にはついていないからそれだけ。皆というのは恐らく、特別捜査隊のメンバーのことだろう。優先すべき女子は四人なので、そちらと今くれたように陽介となれば、完二はスルーされてしまったのかも知れない。若しくは、校章やらクラス章が宛てがわれたのだろうか。釦のなくなった淋しい学ランをぽつりと思い浮かべてみた。
「また帰ってくるよ」
絶妙なタイミングで月森はそう言うと、にこりと笑った。
「ゴールデンウィーク、夏休み、冬休みも来るかも知れない――春休みも」
「すっかり稲羽っ子じゃん」
「陽介も、こっちに遊びに来ると良い。案内するから」
「んなのなくても、あっちは詳しいからヘーキなの」
「そうか。じゃあ逆に、陽介が良く行っていた場所とか、教えてくれないか?」
「んーまぁ、バイト頑張って、金貯まってたらな」
千枝の肉代やクマのおやつ代に消えなければ良いのだが。頑張ってよ、と月森はまた笑った。釦を、いつもダンジョンで苦無にするみたいに、手首のスナップで跳ね上げてみる。太陽の光が反射して、一瞬だけ金色が輝いた。陽介はなんとなくその光に、別れというものを見たような気がした。
*
一年前の、そんな話を思い出す。高校生活の終了というものは、予想していた以上には、過去の思い出を喚起させるに足りるものであるらしい。月森からも、メールで『卒業おめでとう』という言葉を貰っていた。こちらも、お前もと返している。
月森は彼が言っていた通りに、春も、夏も、冬も、稲羽市に帰ってきた。連絡も変わらずに取っているし、距離はあっても絆は不変である、という言葉は完遂されたと言えるだろう。進学先は特に聞いていないが、東京なのだろう。既に合格しているとは聞いていた。
そんなことをつらつら思っている内、卒業式は恙無く終了した。クラスの女子生徒が随分と泣いており、千枝や雪子までもが涙ぐんでいたものの、結局、陽介にとってはそこまでの感慨はなかった。四月からは自宅から通える距離にある大学に進学することが決まっているし、クラスメイトに限らず、大抵の同級生は、また稲羽市で顔を合わせるのだろう。住めば都と言うのか分からないが、八十稲羽を離れるという生徒は少ない。そもそも進学校である八十神高校からは、地元大学へのコネクションが強いらしく、推薦の枠も異常に多いのだ。それに乗っかる生徒が多数で、成績の芳しくない生徒も一般入試までには何とかなる。それが無理でも、一つランクが下の大学がまた近くにあるのだ。まるでエスカレーター式である。
(桜、咲いてんのな)
去年は寒くて、桜は咲いていなかった。入学式には綺麗に咲いていたのに。結局、写真には撮りそびれてしまっていた。
「陽介、髪に桜がついてる」
「へ?」
振り返ると、月森が立っていた。髪に付いていたと言う桜の花弁を一つ摘んでいて、目が合うとそれをぱっと手から離した。ふわりと風に、花弁が揺れて飛び去っていく。
「あ、あれ? 昨日はメールさんきゅー……」
幻でも見たかと思ったが、髪に触れた感触は幻惑などではない。
「言ってなかったけど、こっちの卒業式は早かったから、もう終わってるんだ。改めて、卒業おめでとう、陽介」
「そ、だったんか。……ってか、お前もな、相棒」
右手を軽く握って前に出すと、心得たように月森も同じく右手を結んで、コツリと合わせた。
「ブレザーじゃねぇの?」
モノクロを基本とする月森の私服だが、今日の格好も黒のジャケットにグレイのハイネック、そして黒のスラックスと相変わらずだった。
「人様の卒業式で他校の制服着られるか?」
「だったら、ヤソコーのでも」
「釦が何もない」
「どうせ、いつも全開で、ひとっつもはめてなかっただろ」
そうだな、と月森は頷いた。
「つか、わざわざ来たの? 暇してた?」
「漫然と来た訳じゃない。目的があって来た」
俺らに卒業おめでとーって言いに? と陽介が笑うと、月森はスッと瞳を細めた。
「これを、貰いに」
長い指が陽介の胸の辺りに触れる。上から二つ目、心臓に一番近い金色の釦。親指と人差指で掴むと、月森は勢い良くそれを引っ張った。ブチッと切れる音がして、釦が引き千切られるのを、陽介は呆然と見守ることしか出来なかった。
(え?)
「それと、陽介の心を奪いに」
引き千切った釦に唇を寄せると、月森は笑みを浮かべた。
「一年――それで気持ちが収まらなかったら、本気で奪おうと思っていた。言わなかったけど、大学は稲羽で、陽介と同じ。推薦だったんだ。戻ってきて嬉しいだろ?」
「お……おう……?」
「目的は達成したから、里中や天城にお祝いでも言ってこようかな」
月森は笑顔のまま横をすり抜ける。
(……は?)
「え、あ、ちょっと待て――!」
「本気だよ」
振り向いた眼差しは真剣だった。ぴりっとするほどに強く貫く。彼の最初のペルソナ、イザナギの用いていた雷のように。
「覚悟しといて、陽介」
手を掴まれたと思うと、甲に軽く唇が触れる。ぎょっとして手を振り解こうとしても、軽く掴んでいるように見えた右手は、予想よりも強く拘束されていた。
「直ぐに奪ってみせるから」
じわじわと熱を帯びてくる右手と、頬を知覚する。
そのたった一言で、一遍に全部奪われてしまったように思って、そのまま陽介は動けなかった。あの日貰った金色の釦はどこに仕舞っておいただろうか、と、ただそんなことだけを思う。
別れ話がリアルイヤー的に流行っていると聞いて書きました。
しかし別れに留まらず卒業式に発展してる件。
いただいた感想に主人公がイケメンとあって驚いたのですが、
3秒で落とせるからだと聞いて、そんな話にしてみました。
タイトルは間違いました。