清き夜

 都会にいると、前夜祭の方が遥かに重要度が高いイベントであるように思えたが、いずれの方が大事であるとか否だとかそうということは、そもそもキリスト教信者でもなければ関係がないのかも知れない。街中に溢れるイルミネーションもブッシュ・ド・ノエルも同じように自分とは無縁のものだと感じていた月森からしても、その重要性の違いなどはどうでも良いと言ってしまえることだった。ただ、最近は少しばかし気になっている。イブにこそデートしたいと世の多くの人が思うのであれば、それに自分も乗っかってみたい、と思うのだ。だから、約束をした。半ば強制的に。
「思ったんだけど、お前って、わりと人とこういうイベントしてた系?」
「陽介はどうなの」
「や、クリスマスはダチと集まったりしたことねぇけど」
「俺もないよ」
「じゃあ誘うなよ」
「好きな人と過ごしたいって思って誘うとおかしい?」
 陽介は渋面を作った。
「明日、皆で集まるだろ」
「それは違う。菜々子の快気祝いだし」
 言えば陽介はなるほどと頷いた。クリスマスパーティだから集まるということではなく、一時退院できる菜々子の回復を祝ってする集まりだという考えの方が強い。恐らく誰も、プレゼントを用意するとしたら菜々子宛てになるはずだ。ケーキも豪華な料理も、菜々子のために向けられる。その光景こそがきっと幸せだろうと月森も思うのだ。少女の笑顔を失って、月森も随分と均衡を崩してしまっていたから尚の事。
「いろいろあったもんな」
 テレビに落とされたことも、一度は死の淵を彷徨わせてしまったことも、彼女を落とした許しがたい男がいたということも――。
「そういやお前、足立さんのこと嫌ってた?」
「陽介……アレは聖夜に名を出すべき存在ではないよ?」
 笑顔で言うと、陽介はびくっと少し後退った。
「陽介と二人きりでケーキを食べられる素晴らしい夜に、どうして思い出す必要があるのか」
「俺もあの人に恨みはあっけど……」
 自分よりむしろ、陽介の方がそうなのではないかと思う。だのに軽く口に出せるということは、生田目を落とそうと言い出したときに比べて、陽介の心境も変化したということなのだろうか。陽介の想い人たる小西早紀をテレビに突き落として殺したのは、足立透その人だ。恨みはある、なんて言葉以上に深い。
「菜々子を危機に晒した男を許すべきだと思うか? 小西先輩をあんな目にあわせて、俺たちも危険な戦いに身を落とさせられて、そして、堂島さんの信頼も裏切った」
「月森……」
 叔父は人付き合いが良い方ではない。無骨な人だし、言葉も器用ではなかった。そんな彼が食事を案じて家に連れてきたり、サボっているのを気にして月森にそれとなく窘めてくれたら、なんて言うくらいには、彼のことを可愛がっていたのだ。月森はそれを良く知っている。叔父はきっと、足立のことを相棒だと思っていた。信じられる人だと。月森はそうではなかったにしろ。
「裏切りという罪は重い」
 故に、名前を出すのも憚られるほどに、嫌悪するのだ。陽介はこちらをじっと見て「それなりに気にしてっからか」と仄かに笑った。
(菜々子も懐いていたのに)
 二つに結いた髪が揺れる。食卓で、楽しそうに会話していた影を思い出す。あれは永遠に亡くしてしまった光景だ。きっと自分は、自分で思うよりも強く、ここで紡いできたすべての生活を愛おしく思っていたのだろう。欠片でも壊れしまうことを悲しんでしまうように。それは、八十稲羽に来るまでは考えもつかなかった感情だった。昔から執着心はなかったし、欲求もない。人との付き合いは面倒の一点だけで、部活動も委員会もなにも、素通りしてきた。今では運動部と文化部の両方に所属しているなんて、考えられない。
「えーと、あ、明日はケーキ作ってもらうんだったか? 菜々子ちゃんが食えるケーキになってっといいけど……」
「いざという時のために、ケーキは一つ作っておくよ」
「おっ、流石だな相棒。俺としては、最初からそっちで食いたい気分」
「食べたかった? ごめん、男のケーキとか陽介喜ばないかと思って」
 んー、と陽介はフォークをくわえたまま、茶の瞳を細めた。
「月森のは美味しいからいんじゃね?」
「……、今からでも作ろうか」
「待て待て、イブくらいゆっくりしろ!」
「それ言うなら陽介の方こそ。結局午前中はバイトだったんだろ?」
 元々は、昨日のみだったらしいのだが、予想以上にケーキもチキンも飛ぶように売れるものだから、午前中だけでもと駆り出されたらしいのだ。代わりにケーキを貰って来たから準備不要、ということで、食卓にはジュネスのブッシュ・ド・ノエルが並んだ。チキンは明日食べるということで手軽に宅配のピザを頼んだが、どうせならなにか手作りした方が良かったかも知れない、とは今更に思う。どうせ暇をしていて、イブだというのに部屋で泣き虫先生を読み返していたくらいだし。
「モテモテの月森センセイは、女の子と過ごしてたんじゃねぇの? お誘いいっぱいだろ?」
「そういうのはない。あっても行かないけど」
 溜息を吐いても、陽介は気にした様子もなく笑っている。散々、陽介のことが好きだと言っているし、ちゃんとアピールもしているのにこの仕打だ。自分でも呆れと悲しみと諦念が程よくミックスされてしまっている。陽介は時折、月森のことをサディスティックみたいに言うが、こんな状況に甘んじている自分はよっぽどマゾヒスティックに見えるのだが、悲しいかな彼は気付いてくれていないのだろう。
「んーでもそうだな、カップルとか仲いい夫婦とか家族とかすっげぇ見たけど」
「クリスマスらしいな」
「前ほど、羨ましいって感じしねぇかも」
「どういうこと?」
「幸せそうでよかったなーって、なんか思う。菜々子ちゃんのこととか、霧に飲まれそうになったとか、いろいろあった分、幸せな光景ってのが気持ちいい」
「陽介……聖母様みたいだな」
「月森、たまに俺は本気でお前についていけねぇんだ」
「陽介の心の清らかさに感動したんだよ」
 本当に褒めたのに、陽介はまた渋面を作るばかりだった。
「つーかあれだ、今日とかもさ、お前と楽しくやれてっから、恋人いなくても充実してるからっつか」
「陽介が望むなら今からでも恋人作れるよ?」
「うん。月森、ピザ美味しいよな。宅配ピザってイタリア料理のピザと違う感じすっけど」
「本場のピザ作る?」
「年明けにでも頼むわ」
 自分から思わずどきっとさせるようなことを言っておきながら、こちらが反応すると手を引くのは納得がいかない。実は隠れサドなんじゃないだろうか。とりあえず年明けには、ナポリ風かローマ風のピザを作って、それを口実に呼び出そうと心に決めた。
「こういうのはアメリカ風のピザだって聞いたことがある」
「ふーん。相変わらずなんでも知ってんのな」
 自分の心境の変化というものは、陽介に依拠する部分が大きいのだろう、と月森は思っている。彼と出会い、手を取ったところで、少しずつ変わり始めていた。今までは微塵も興味がないと思っていた部活動を始めて、積極的過ぎるくらいに陽介と関わって、その心の内を知ったときに、価値観は一変した。特別だと彼が自分に言う以上にずっと、陽介は特別だ。彼がいなければ今の自分はいない。菜々子や叔父がいなくて淋しいと思うことも、陽介と今こうしていて嬉しいと思うこともなかった。だから本気で好きだと思っているのに、陽介はどこかその本気度をわかってくれていないように思う。ぺらぺらと言うのが悪いのだろうか。しかし加減がわからない。
「陽介、初詣一緒に行かない?」
「女子着物なら行く」
「……頑張って誘う」
「おう、頑張れよ、リーダー」
 なんだかんだで月森の肩を持ってくれる女の子たちなら、着物で来てくれる気がする。りせは特に、ノリ気になってくれるだろうし、ついでに直斗も引っ張ってきて、と頭の中で算段した。
 いなくなってしまう前に、陽介に気持ちがちゃんと伝わってくれるのか。残り三ヶ月という事実に思いを馳せながら、月森は来年も感情豊かに過ごすだろうことを予感した。

発音はきよきよ

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