カラオケに行こう

 これ以上、親睦を深める必要があるのか否かは分からないが、皆で出掛けようという話が持ち上がった。いつものフードコートや食べ物屋ではなく、どこか近場で。それならばと陽介がカラオケを提案したところ、高校生らしい遊び場でもあることから、あっさりと賛同され、沖奈市まで全員で出てくることになったのである。八十稲羽に来てからはあまりカラオケに行っていないものの、たまに一条辺りと歌いに来たこともあり(長瀬はおもしろくないからと付いて来なかった)、慣れていた陽介が場所や時間、飲み物などあらゆる手配を行い、かくして全員でカラオケと相成った。
「陽介は良くカラオケに来るのか?」
「あぁ、お前とは行ったことなかったっけか」
 どこかに出ようということにはあまりならなかったし、カラオケしか遊びがないということもなかったのである。鳴上に聞かれて、そういえばと思い出したくらいだ。
 特別捜査隊のメンバー総勢7名、クマはバイトで不在にしているが、元より彼に、こちらでの歌が分かるべくもないので除外しても仕方ないだろう。埋め合わせに今度はクマに付き合うことにもなっていたので、気兼ねは不要だ。全員が席に座ったところで、誰から歌うかで揉めないように、陽介はクジを用意しておいた。割り箸に番号を振ったものを見せたとき、りせと雪子が「あれ、なんだか見覚えがあるような」などと言い出して、千枝が慌てていた。ともあれ順番をノートにメモし、それに沿って進行すればきちんと進められる。一巡すれば後はどうなっても構わないだろう。
「まずは天城からだな。てか、やっぱ天城越えか?」
 難攻不落の天城越え。そう言われていることは本人も知っているはずだ。そうでなくとも、和服美人であれば、演歌くらい歌い出しても不思議はない。
「ううん。津軽海峡・冬景色」
「やっぱ演歌なの!?」
 雪子の右隣にして陽介の左隣にいる千枝が、頓狂な声をあげた。
「石川さゆり、か……」
 陽介の右隣ではしみじみと鳴上が呟いている。思わず「誰それ!?」と陽介も仰け反った。
「天城越えを歌っている歌手だろ? その繋がりで石川さゆりなのかと思ったけど」
「お前はなにを知ってるんだ……?」
 知識量が多いとは思っていたが、よもや演歌歌手までとは思ってもみなかった。友人の意外なようで意外でもないような一面に陽介も微妙に戸惑ってしまった。そんなこんなで二年生二人が驚いている間にイントロが流れ、歌詞が画面に浮かんでくる。マイクを渡された雪子は、すっと息を吸い込んだ。
「あ、やっぱ上手いんだ」
 千枝がうんうんと頷いているので、おやっと思った。
「里中、天城とカラオケ行かねぇの?」
 幼馴染で親友ともあれば、健全な高校生として、一度くらいは二人でカラオケに行ったりしないものだろうか。
「初めて来た」
「マジで?」
「花村だって鳴上くんと行ったことないんでしょ?」
「やー……アイツとカラオケとか、どうもイメージがな」
 陽介自身は歌うのが好きだが、鳴上悠には似合わない気がする。千枝はそれと同じだと言って、オレンジジュースのストローを口に咥えた。なるほど、天城雪子とカラオケも、鳴上と同じ程度には不似合いだろう。そんな雪子ではあるが、歌は音程もリズムもきちんと取れている。演歌に向いたハリのある声ではないが、綺麗な歌声は、彼女の外見らしい。
「もしかして演歌しかレパートリーねぇとかじゃないよな……?」
 流行りの歌を歌う雪子も想像出来なかった。考えている内に歌は終わり、雪子はパッと陽介を見ると、次は花村くんだよ、とマイクを向けた。
「そっか、二番手俺だったよな……ま、歌はけっこー自信ある方だぜ!」
 音楽的なセンスは自負している。ギターも弾けるし、音感とリズム感は備えていると自分では思っていた。
「えー、ホントにー?」
 りせが邪気なく笑ったが、さすがに彼女を前にしては分が悪い。肩を竦めた。
「や、本職前にすんのはアレだけど……」
 本業はアイドルで歌手ではないが、CDも出しているし、恐らくボイストレーニングも受けているはずだ。カラオケは失敗だったかも知れない、と少し悔いながら、楽曲の転送機を動かす。
「しかもスピッツとか、狙いすぎじゃない?」
「狙ってるのか?」
「僕に振られましても」
 千枝のヤジも、友人のアバウトなボケとそれに律儀に返す後輩も置いておく。陽介は単純に好きな歌を選曲したに過ぎないし、このメンツで何をどう狙えば『チェリー』を選ぶというのだろうか。聞き慣れたイントロをやりすごして口を開いた。さすがにヤジも、歌が始まれば止んでしまう。間奏も長くはない曲なので、歌い終えるまでにあまり会話はなかった。
「……普通に上手いですね」
「ソツのねぇ歌い方だな」
「おもしろくないわね」
 いきなり三人に褒められていないような褒め方をされて、思わず、ひでぇと陽介は叫んだ。と、真横で拍手する音が響く。
「陽介! 綺麗だった……まるで、まるで、天使の歌声のようだったよ……!」
「先輩…………」
 りせが諦めたような目で立ち上がって拍手を続ける鳴上を見ている。
「立ち上がって拍手するようなモン?」
 千枝の指摘は常に冷静である。
「あはははは、リーダーおもしろい」
 その横の雪子は今日も笑っている。
「……褒められてねぇんだな」
 良く分からないが、そうなのだろう。陽介は肩を落とした。
「俺は褒めてるぞ」
「あ、うん。分かったから悠は座りなさい」
 鳴上は素直に頷いて着席してくれた。疲れた喉に、陽介がアイスココアを流し込んでいると、向かいのりせがこちらに目線を送る。
「音とか綺麗に取れてたし、リズムも合ってるし、声量もあったね。よかったよ、花村センパイ」
「りせが普通に褒めた!」
 それは誰に褒められるよりも意外だったかも知れない。陽介が思わず照れると、隣の相棒が「俺も褒めてるだろ」と不満気に腕を掴んできた。あの尋常でない褒め方で普通に喜べる人間がいたら見てみたいものである。
「次は里中先輩ですね」
 進行役が眉間に皺を寄せている間も、冷静でしっかり者の後輩が、ノートを見て次を指摘してくれていた。
「あ、アタシ? そんなに得意じゃないんだからね?」
 マイクを渡すと、千枝は焦ったようにきょときょとと首を動かした。
「里中はスクランブル?」
「ややこしいネタはやめとけ、相棒」
「なにそれ! ふ、普通だっつの!」
 千枝は指先を動揺させながら転送機を動かす。タイトルが画面に出たときに、思わず陽介も、あーと言ってしまった。
「いきものがかりかー、普通だな、たしかに」
「普通なのか」
「普通なんですか」
「普通なんすか」
「普通なんだ」
「ダメだコイツら」
 鳴上に直斗に完二、雪子にまで言われては、普通もゲシュタルト崩壊である。4対2では多数決でも普通が負けている。普通って何だろうかと陽介は思ったが、りせは気にしていないように「『ありがとう』はカラオケだと人気だよー」と笑っていた。そんな普通でないメンツの中、千枝は、非常に無難に、つまり普通に歌いこなした。
「千枝、千枝の歌声も天使!」
 陽介の相棒に対抗したのか、雪子が手を叩きながら同じようなことを言っている。
「いらないからそういうの! てか、笑いながら言うなぁ! 実際、花村ほど上手くはないし……」
「千枝センパイも上手だったよ?」
 りせはことんと首を傾げた。
「具体性がないところとかね……負けてる……」
「普通に上手かったつの、普通に」
「うるさい! 自分は上手いからって!」
「里中、それ、褒めてるだけだぞ」
「言うなぁぁ! 鳴上くんも!」
 狭いカラオケルームでなければ、足が飛んできていたかも知れない。汚したり壊したりすると弁償だからな、と予め千枝と完二に言っておいたことが功を奏したようで幸いだ。
「っと、次は直斗クンだぜ? 歌えんのかなー、チビッコ探偵くんは」
 にやりと向かいに笑い掛けると、澄ました顔で直斗はマイクを受け取った。
「歌えますよ。と言っても流行歌を知らないことは事実です……しかし皆さんが良く知っている曲ならば覚えてきました」
「まさか君が代とかじゃねぇよな?」
 良く知っていることは事実だが。
「カラオケには入っていなかったので、アカペラで歌います」
 すう、と息を吸い込んだ直斗は勢い良く声を出した。
「って校歌かよ!」
 確かに、八十神高校の生徒の集まりならば、分かり易いだろう。まさか、一番最後に転入してきた彼女が歌うとは思ってもみなかった。と言うより「カラオケで校歌ってアリなの……?」と呟く千枝のツッコミがやはり正論だろう。
「やるなぁ、白鐘。俺は校歌、覚えてない」
「覚えようぜ相棒?」
 転入してきてもう随分と経っているはずだろうに。
「俺も覚えてねぇ……」
「私は覚えてる!」
「雪子は当たり前でしょーが!」
 ボケがボケを読んだところで、直斗は一番を歌い切ってマイクを前に差し出した。
「次はリーダーの番です」
「俺か」
 実際、鳴上とカラオケに行っていないということもあって、どんな歌を歌うのかは興味があった。
「なに歌うんだよ、相棒。お前なら、なんでも得意って感じすっけど」
「菜々子が好きな歌を一緒に覚えてきたんだ」
 言いながら鳴上は曲を転送する。画面に踊った文字を見て、千枝と陽介とりせがギョッとした。残りはきょとんとしている。
「ってヘビーローテション!? うっそ!」
 菜々子が好きなと言うくらいだから、鳴上の趣味ではないのかも知れないが、それにしても物凄いところをチョイスしてきた。やはり天然。斜め上な行動は相変わらずだ。
「てか、菜々子ちゃんってアイドル好きなの?」
 りせのことも好きだと言っていたが。それとも歌は違うのだろうか。などと思っていると歌が始まる。鳴上は息を吸い込んで――
「しかも……音痴……!」
 千枝が嘆いた。
「……こういう歌なんですか?」
「じゃねぇのか?」
「アハハ、面白い曲だね」
「もう直斗くんと完二は二人でカラオケ行きなよ……」
 りせの言う通りかも知れない。世間ずれしている二人の相性は抜群に良さそうだ。
「り、リーダーが……意外……」
 千枝はまだ絶句している。呆然と画面と鳴上を見比べているが、歌声は何度彼を見直してみても変わってくれたりしないのだ。
「お、おう、俺も、なんでもできんのかと思ってたぜ。まさかこんな……うわ、歌ヘタ出してぇ……」
 完全なる音のズレを、世間にも見て貰いたいレベルだった。かろうじて、リズム感はある。
「センパイにも苦手なことってあるんだぁ……なんだかカワイイ!」
 可愛いという歌声では全くなかった気がするが、本当にうっとりとしている辺り、りせの恋は大体盲目なのだな、と陽介は勝手に納得した。歌い終えた鳴上は満足気にマイクをテーブルに置くと、陽介に熱い視線を送る。
「どうだった、陽介?」
 びっくりするくらいに音痴で、誠に残念ながら下手だった、と、指摘するのは難しいことではない。しかし、音痴とは、自分の音が外れていることにも気付けないものであり、これは決して能力的な問題でしかないために本人の優劣とは関わらないところにあり、つまり彼は悪くないのだ。
「あ、あぁ、うん。……こ、個性的だったな! さっすが相棒!」
 陽介が思わずそう褒めてしまったとしても、致し方のないことである。向こうも向こうで、天使の歌声などと盛っていることだし。個性があったのは、神に誓って本当だ。そこ褒めるんだ、と千枝が苦い顔で指摘したが、聞かなかったことにする。知らなくて良いことも世の中には多い。
「さくらんぼも歌えるぞ」
「歌わなくていい! てか歌わないで! つ、次りせ! 待ってました!」
 声のギャップも音の外し方も、すべてにおいて聞きたくない。慌ててマイクをりせに渡した。
「よーし、任せて」
 言葉の背後に星でも付けていそうにウインクしたりせは、得意げに転送機を動かす。
「しかもTrue Story……! 持ち歌という奴ですね」
「本気だ。アイドルが本気だ」
「さっすがりせちー! 生歌とかマジで感動するよな!」
 陽介はりせのファンである。もちろんCDも買っていた。歌は知っているし、生で聞けるのは感動的なことだ。「りせの歌聞いて感動するっスか?」と後輩に、あまりにも不思議そうに言われたとしても、陽介にとっては嬉しいことなのである。
「りせ……羨ましい……」
「リーダー、そこは争わなくていいから。てか、なんか悔しいんですけど」
「ねぇねぇ千枝、この、採点って何?」
 静かだと思ったら、もう一台の転送機を弄っていたらしい雪子が首を傾げた。
「雪子ナイス! 採点入れちゃえ」
 ピピッと音がすると、採点機能がオンになった。りせは「えー、私だけ?」とやや不満そうではあったがイントロが聞こえると顔が引き締まった。さすがは元アイドル。
「声量、音感、リズム……全て、このグラフの通りですね。お見事です」
 友人の歌声よりも、名探偵はグラフの方が気になるらしい。
「これがプロの本気ってヤツかぁ……」
 千枝は唸っている。しかし直斗ではないが、グラフの推移は想像以上に気に掛かる。
「えへへ、どうだった?」
「持ち歌でも89点か。やっぱ機械採点だとこんなもんか」
 歌はとても良かった。アイドル歌手の生歌だ、陽介なら100点を付ける。しかし機械は所詮機械なのだ。
「花村、前に92点取ったことあるって言ってなかった?」
「まーな」
 相当調子が良いときだったが、最高得点だったので、千枝に自慢したことがある。
「もー! 採点なんてどうでもいいじゃん!」
「見事でしたよ、久慈川さん。ブラボー。この点数は、途中のアドリブの所為では?」
「あっれー、直斗クン、曲聞いたことあんのか?」
「は!? え、えと……」
「直斗くんホント? うれしいッ!」
 りせが、がばっと隣の直斗に抱き着いた。
「素直に歌ってりゃいいんだよ」
「完二ウルサイ」
 そして、水を差した完二が睨まれる。今のはさすがに、自業自得だろう。
「や、マジでよかったぜ、りせ。生で聞けてうれしかった」
「ありがとー、花村センパイ! センパイはどうだった?」
「良かったんじゃないか? 次は完二だぞ」
「やったぁ!」
 適当な褒め方だが、りせが喜んでいるのでそれで良いのか、と陽介は思った。
「俺っスか? 俺ぁ、普段、あんま歌わねっスけど」
 だろうなぁと思っていれば、声がまた続々と続く。
「俺もだ」
「僕もです」
「私も」
「……お前ら連れてきた俺が悪かったわ」
 やっぱり場所のチョイスミスだったのだ。陽介が肩を落とすと、鳴上がまた腕を強く引っ張るので顔を上げた。銀色の瞳がじっとこちらを見ている。
「そんなことない! 俺は、陽介の天使の歌声が聞けて」
「そのネタもう止めて恥ずかしいから! せっかく流したのに!」
 天使天使と連呼される身にもなって欲しい。健全な男子高校生としては、恥ずかしいことこの上ないのだ。
「はっ」
「ど、どうしたの直斗くん……?」
 まだりせの腕の中にいた直斗がいきなり声を出したので、まだこっ恥ずかしい発言を続けようとこちらを見てくる友人の視線を逸らす意味でもそちらに目を向けた。
「天使の歌声と聞いて何かが片隅に引っ掛かっていたと思ったら、ローレライの歌声――! そうかあの謎は」
「探偵、お仕事の話は後で」
 この探偵は職業病だ。
「と、とりあえず、歌えそうなモンつったら」
 りせはまだ完二に怒っているのか、冷たく「童謡?」と言った。
「ちげーよ! おふくろが聞いてたこれ……っスかね」
「天城越えぇ!? お前が!?」
 人選が間違っている。それは雪子の曲だ。
(って天城の曲でもねぇ!)
「陽介、俺とデュエットしよう」
「お、お前と!? ちょ、それは……てかなに歌うんだよ」
「3年目の浮気」
「どんなチョイスだよ! 俺、3年目の浮気とか許さねぇ方よ!?」
 自分でも段々、何を言っているのか分からなくなってきたが、何年目でも浮気は許せないだろう。
「花村先輩、突っ込みどころがおかしくなっていますが」
「言われなくても浮気はしないよ、陽介」
 返しもおかしい。
「あ、完二君、普通に上手」
 雪子が天城越えに冷静なコメントを残していた。

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