相棒に監禁されました。

 相棒に監禁されている。もしも陽介がツイッターをやっているなら、「監禁なう」などと呟いたかも知れないが、幸か不幸かそのいずれでもないのか、ツイッターはやっていないので呟きようがない。とかく、陽介の目の前で月森は、ここから先は通さないぞ、と言うように扉の前に立ちはだかっていた。

 事の次第は花村家に起こった出来事による。元々、陽介の両親はどちらもジュネスで働いており、忙しい人たちだ。母親も繁忙期などには不在がちだし、陽介もそれには慣れている。夕食がジュネスの弁当だろうと気にすることはない。しかし、稲羽市でついに手に入れたマイホームが汚れてばかりいくのは、両親ともに頭を悩ませているところだったようなのである。頼みの息子も家事は苦手。その上に同居人まで増えて、料理の手間は増える。そこで、家政婦を雇い入れるのはどうか、ということが検討されるに至ったのだ。幸いにして、陽介を御曹司と呼ぶほどではないものの、共働きで旅行などにも行く暇がない上に閑雅な暮らしよりジュネスの繁盛を第一に考える性質から、花村家には、それなりに資産がある。住み込みで雇うほどの空間的余裕と金銭的余裕はないにしても、週に何度か呼ぶくらいは十分に可能であり、その上で適当に掃除や食事の面倒を見て貰えれば十分だった。繁忙期は多めに来て貰う等の調整もすれば完璧だ。そこで、試験的に家政婦を二日ほど頼んでみようということになった。
「へぇ、家政婦か。やっぱり陽介は『ジュネスの御曹司』なんじゃないのか?」
 学校帰りに月森の家に寄って、何をするでもなくのんびりとしていた。話題が必要だったわけではないが、そういえばという程度に、件の事を話したのである。
「大袈裟だっつの。ハウスキーピング頼むとかより、信頼できる人がいいとかそーいう話で」
 お陰で家族旅行などの目算はなくなるのだろうとは思ったが、食事を用意してくれるというのは、料理の出来ない男子高校生的にはありがたいことである。元々陽介はジュネスで社員の人からもかなり声を掛けられたりしているので物怖じすることはないし、父親がたまに社員を連れ帰ってきたりすることもあって、家に家族以外がいたとしても気にならない。陽介の気掛かりは、何かをやらかしそうなクマくらいである。
「で、今朝から来てもらってんだよ。朝食も用意してくれてさ、これがうまいんだ。明日は弁当も作ってくれるって」
「……ふうん。どんな人?」
「どんな――って。優しい人だと思ったけど。俺のこと、陽介ぼっちゃんなんて言うからビビった」
 ぼっちゃんか、と月森は軽く笑った。
「自分の子供くらいだったからじゃないの?」
「んにゃ、そんな歳食ってないと思うぜ? 若い人」
「若い……? 何歳くらい?」
「えーと、二十代ってトコ。つか、そういうの聞くの失礼だろ」
 頼むこちらが初めての家政婦なら、やってきた家政婦も花村家が初めてであったらしい。ベテランの人の予定が合わず、しかも二日間だけということもあって、まだ若い者でも平気か、と問われたらしいが、元来大雑把な陽介の母親は、仕事が出来るなら誰でも良いと言ったのだそうだ。陽介も最初は、やってきた家政婦を見て驚いたのだが、その時に聞いた話である。
 しかしながら、家政婦として来たということは伊達ではない。年若いものの、手際良く朝食を用意し、栄養バランスも考えられ、かつ、美味しかった。必要ないと家族全員で言ったのだが、きちんと見送りまでしてくれて、その際に「いってらっしゃいませ、陽介ぼっちゃん」と言ったのである。
(自分で言ってて微妙に恥ずかしがってたよな)
 さすがに高校生相手にぼっちゃんと呼ぶのは些か恥ずかしいのではないだろうか。しかし他に付けるべき呼称が見当たらなかったのかも知れない。素直に様と付けるだけで良い気もするが。ツッコむのも可哀想なのだろうかと、「えーと、んじゃ、いってきます」で済ませておいたが、あの後どうなったかはもちろん、知る由もない。
「今日も帰ったらいるんだ?」
「あぁ、夕食用意してくれてんだ。それ片付けて帰るらしいから」
 分かった、と月森は急に陽介の手首を掴んでにこりと笑った。経験則から、この笑顔には嫌な予感がする、と陽介は思ったが、その予感は見事に的中する。
「陽介、今日は俺の部屋に監禁するね」

「あーいーぼー、俺、ここ出たいんですけど」
「出したら、家に帰るだろ?」
「当たり前だっつの。もう遅いんだから、帰るわ」
 じゃあダメ、と月森は笑顔で言い切った。窓の外はすっかりと紫紺に包まれている。完全に日は暮れて、もうすぐ夕ご飯の時間だ。
(帰りたい)
 監禁する、などと物騒な宣言をした月森ではあるが、別に拘束具を付けたとかそういう異常な事態にはなっていない。自分の部屋に陽介を入れて、扉の前に立ちはだかっているだけだ。出ようと思えば出られないでもないだろうが、階下には彼の従姉妹の愛らしい少女がおり、うるさくして変な思いをさせたくはない。そして、二階の窓から飛び降りるような勇気もない。結果、ツイッターに呟くこともなく、陽介は「出して」と訴えているのみである。
「だーから、そら若いし……結構美人だなーとは思ったよ? 思ったけどな」
 家政婦と言うよりは、そう、年齢から言ってもメイド的だな、と思わなかったでもない。ぼっちゃんと呼ばれるのもちょっと悪くないかなとか、思ったり思わなかったりでもある。もちろん来てくれた家政婦はシンプルにして動きやすそうな格好をしていただけで、メイド服などは着ていないが。
「メイドが陽介を誘惑する……!」
「しねーから」
 むしろ仕事柄、過度に関わりはしないのではないだろうか。
「でも、年上好きなんだろ」
 言われてちょっぴり動揺した陽介である。幼稚園の初恋から小西先輩まで、年上の女性に弱いらしいことの自覚はあった。
「ほうらやっぱり」
「お、俺の趣味はほっとけよ」
 そんなことを言う陽介は拘束するとか何とか良く分からないことを言いながら、月森は陽介にいきなり抱き着いた。
「そういう嗜好は変えられねぇだろ……つーか、お前にだって好みとかあんだろが」
「陽介が好みだけど」
「うっわ、バカな発言」
 思わず仰け反りたかったが、拘束されているのでそれも叶わない。そんなことを言われてときめく純情乙女でもないつもりだが、うっかりきゅんとしそうなので、陽介の恋人は非常に強い。計算尽くだったらどうしようかと、ときおり思ってしまうくらいだ。
「えー、俺も好みは月森かなー、とかバカップルみたいなこと俺言わねぇからな」
「知ってるよ」
 さらりと言われたので、一体全体、どんな顔してそんなことを言っているのかと甚だしく疑問に思った。
「どうだろうな……陽介の好みはたぶん、優しくて、強い人? 前に立ってくれる人で、手を引っ張ってくれる人」
(自分でなに言ってんだ、コイツ)
 理想や好みに必ず惚れるとは限らないが、惹かれるのがそうであることは間違いない。だとすれば、陽介の好みと、恋人たる月森には必ず共通点があるはずで。
(まぁたしかに、前に出るリーダーだよなぁ)
 引っ張ってくれるのではなく、本人の意志で引っ張ってくるだけなのではないかと思う。嫌だと言ったこともないし思ったこともないのだが、その辺を見抜かれているようにも思われた。
「離さないでって言うより、離さないって言う方」
 少し笑った風に言うと、急に月森は耳元でささめいた。
「だから、今日は帰さない」
 思わず身体から力が抜けてしまった。
「お前は……いい声を無駄に使うな……」
「分かった?」
 もう一度、ダメ押しみたいに月森は囁いて、笑う。どんな顔をしているのか想像出来るのが、余計に抗えなくさせるのだ。
「わかりました。わかったから、せめて家に電話させてくれ……」
 一応、監禁らしく(らしさの基準があるのか知らないが)携帯電話は没収されていたのだ。携帯返せ、と陽介が言うと、月森は急にぱっと腕を離した。ズボンのポケットから陽介のオレンジ色の携帯を取り出して、ハイと渡してくれる。もう拘束する必要性を感じないのか、陽介から離れた月森は、窓を開けて夜の空を眺めている。
「いっちおう聞いときたいんだけど」
「何?」
「俺、疑われてんの?」
「美人メイドに靡いちゃうって? ないない。そんな心配してないよ。陽介は絶対、そんなことないだろ」
「えー……」
 では何故、監禁されたと言うのだ。
(あとそれはつまり俺がお前にべた惚れだと仰いたいのか)
 全面的に否定はしないが、積極肯定もしたくはないところである。
「たまには、自分だけのものだという気分を味わいたいから」
 陽介の心中の疑問を読んだように、さらりと差し込んでくる月明かりを背にした月森は笑っている。
「いまさら?」
「あれ? 陽介は髪の毛一本から爪先まで全部俺のものだっていう自己申告?」
 また月森は素早くこちらに近付いたと思えば、背後から腕が伸びてきた。
「そうだったら良いけど」
 あと単純に嫉妬、と月森はあっさり言った。

back