沖奈に行かないとイルミネーションは見られない

 街が華やいだ印象に変化していく中でも、月森の暮らす堂島家は家主とその娘を欠いて、静寂を保っていた。それについて、今更、寂しくなったとかそういうことはない。叔父はもう退院出来る状態にまで回復しているし、菜々子だって、病状は快方へと向かっている。独りでは居間が暗いと思うこともあるが、気の置けない友人が、気にして何度も遊びに来てくれていた。
(気の置けない友人、か)
 星がちかちかと瞬いてる。冬空の元で、月森はその友人を待つ。
「おー、月森! ワリィな、待たせたか?」
 ファーのついた白のジャケットにハニーブラウンの明るい髪の色は、この冬に入ってから良く見掛けていた。春に出会ったばかりの友人。否、親友と呼んでも差し支えがない、月森の信頼する相棒だ。
 今日は寒さの為か、赤と茶色のチェックのマフラーをぐるぐると巻いている。陽介は軽やかに手を振ると、小走りで近付いてきた。
「急に呼び出してごめん」
 別に良いって、と陽介は子犬か何かの様にコロコロと笑う。
「けどなぁ、開口一番、今日は空いてるだろ? とか言うなよな。嘘でもここは、予定があるかも知れないけど、とか言っとけっての」
 寒いのか両手を擦り合わせながら、陽介は態とらしく唇を尖らせた。本気で文句を言っている訳ではないことなんて、月森にも分かっている。ゴメンゴメン、と軽く謝ると、失礼な奴だとぶつぶつ言いながら、ぷいと顔を背けた。
「つか、お前も、だろーが!」
 振り向いたと思えば、細い人差し指を鼻先に突き付けられる。半月をちらりと見ながら、行儀悪いよ、と月森は手でいなした。
「だから呼んだんだ。お互い様だろ」
 イルミネーションでも見に行かないか、と電話したのは今日の夕方だった。悩みに悩んだ末の犯行であり、被害者には申し訳なく思っている。ではなくて、元より、駄目で元々というつもりでいたので、肯定の返事を貰って、些か月森も舞い上がってしまった。彼にとっては、些かも嬉しくないことであろうとは、分かっている筈なのだが。クリスマスに野郎と二人では、全く以て彼は報われていない。
「しっかし、八十稲羽じゃ、イルミネーションなんて高尚なモンねぇし」
 陽介は辺りを見渡して、苦笑する様に言った。駅の周辺も、イルミネーションが綺麗だ。電飾は商店街へと続いている。あっちへ行こうかと商店街を指さすと、陽介は小さく頷いた。ぼんやりとした視線に、八十稲羽と比べているのかも知れないなと思う。
「ジュネスは電飾が綺麗だったけど」
「サンキュー。でも、あんなんカップルで見に行くヤツ、いねーぞ」
 カップルで、と聞いて、月森は思わず隣を歩く陽介の顔を覗き込んでしまった。視線の先、櫨色の瞳は、見詰められて、ぎょっとした様に丸くなる。二人でイルミネーションを見に行くのが、非常にカップルらしい行動だとは理解していたらしい。もしかしたら、ここではそんなの普通で、浮かれることでもないのかとは危惧していたのだ。
「……だから、こーいうお誘いは、女の子にしろっつの。まぁ、お前がなんの気なしに誘うってんなら、流血沙汰になりそうだからやめといた方が正解だけどな」
 そうだな、とぼんやり呟いた。息が白い。雪が降り出す予感がした。外さない天気予報でも、荒天を伝えていたし。
(女の子にしても、意味がないんだけど)
 それを本人に言えるべくもない。あぁ、陽介はやはり女の子と来たかったのだろうな、とだけ思う。そういう相手だと知っているから、落胆もなかった。
「菜々子に、イルミネーションの写真を撮って見せてあげようと思ったんだよ」
 まだ病床にいる可愛い妹の笑顔を瞼の裏に浮かべた。
「なるほど。……お前ってホント、いいお兄ちゃんだよな」
「お褒めに与り、光栄です」
「茶化すなよ」
 陽介は歩きながら、ふっと空を仰いだ。
「沖奈でも、星、キレーだな」
 八十稲羽に比べれば、沖奈は発展しているし、都会的だ。夜になれば、イルミネーションがなくともネオンライトがあちこちで見られるし、眩しい街だ。街灯ですら乳白色でぼんやりとしている八十稲羽とは訳が違う。それでも星空は同じ様に綺麗で、思えば、東京にいた頃だって、空を眺めたことがなかっただけで、本当は星が幾つも瞬いていたのではないかと思えた。沖奈市の活気が、東京のそれ程ではないにしても、湧いたのは一種の郷愁染みた感情だ。
 東京には未練はない。例えば恋人を置いてきたとかそういうことはないし、連絡が途絶えて困る様な知り合いはいなかった。恐らく、向こうでも、月森を欠いて日常が崩れた者もいないだろう。早く戻りたいかと問われれば、否だと首を振る。ここには仲間がいて、友がいて、そして、陽介がいるのだ。帰りたくはない。けれどふと、思い出すことがあるのだ。夜になっても明るい街並みとか、携帯を弄ってばかりの満員電車や、そういうことを。それも、立派に郷愁と言えるだろう。
「カップルばっかでやんの」
 くすくすと近距離で笑う声が、耳にくすぐったかった。
 駅前も電飾が煌びやかだったが、商店街の方は、更にライトがきらきらと輝いている。クリスマスカラーらしく、赤と緑と、それから白色。中々良いじゃん、と陽介が呟いた。
「リア充爆発しろ――って?」
 ネットのスラングみたいな言葉で周りのカップルを表現してみると、陽介は吹き出した。
「別に、そこまでは思ってねぇよ」
 ケラケラと傍で笑っているのを見ているだけでも、月森には全く、他の誰かを妬む様な気持ちは生まれなかった。
「うーん、むしろ、お前と一緒に見るとか、なんかこう、肖ってモテパワーが貰える気がしてきた」
「どんなだよ」
「来年からは、俺の時代が来るかもしれないな」
 どこまで本気で言っているのか、腕組みしてうんうんと頷く陽介を見ていると、月森の方が笑けてきた。そうやって、いつも心の荷重を軽くしてくれているのは、陽介だ。清涼剤とか安定剤とか、言い様は色々あるだろうが、いずれにせよ、陽介がいたから、こうしていられるのだと月森自身は思っている。彼がそのことを否定したとしても。陽介は決して馬鹿ではないし、空気が読める。明るく言った方が良いと思うからそう言うのだし、こういう時、月森といられて良かったという様な趣旨の発言をするのも、誘ったこちらを慮ってだ。
「中心にツリーがあるんだっけか?」
「うん。そこまで行かない?」
 商店街の中心に、大きなクリスマスツリーが飾られているのだ、と、八十神高校のネットワークで聞いている。何せ、八十稲羽にそういうスポットがない以上、勢い多くが沖奈に流れるのだ。
「っつか、それ撮らなきゃダメだろ」
「え、あぁ……確かに」
 何やってんだよ、と陽介はまた笑った。
(良く笑うなぁ)
 笑ってくれているのだから、それなりに楽しいと思ってくれているのだろうか。流石にそんなことまでは聞けず、月森は自分勝手な推量を行い、コートのポケットに突っ込んだ手を握り締めるだけだった。
 菜々子にと言うのは、副次的な目的だ。勿論病床にいる可愛い妹に、明るいクリスマスを見せてやりたい気持ちはあるが、それ以上に、口実が欲しかった。どうしてと聞かれて、返せるだけのそれ。それを、はしゃいで忘れては、意味がない。
 月森が惚けていると、陽介は既に前を歩いていた。そうして振り返る。ひらひらと、細っこい手が振られた。体躯と同様に、掌も月森より小さい。それでもか弱いとか貧弱な印象ではなく、唯、陽介は整っているのだ。顔立ちも、背格好も、足先まで整っている。
(陽介は、綺麗だ)
 顔が綺麗だのイケメンだのと、月森自身も言われているが、自身にナルシスティックな部分がないということを差し引いても、本人は自分のことを、そう評価してはいなかった。綺麗だと言うのならば、陽介こそが。
「月森? どうかした? さみぃ?」
 突っ立っていたのを寒さの為と勘違いしたのか、陽介はひょいと近付いて首を傾げた。近くに寄ると、柑橘系の爽やかな香りがするが、整髪料なのか香水なのか、それとも別の何かなのか、聞いたことがない。
「陽介こそ、寒くないか?」
 そうっと細い指の先を見ると、先程までは血色の良いピンクの色をしていた爪が、鬱血したみたいに、紫色に染まっていた。ぎょっとして思わず手を掴むと、想像以上に指先は温度をなくしている。
「つめたっ……陽介、平気なの?」
「平気ってか、慣れてっけど」
 冷え性だとは聞いていたが、まさか爪が変色するレベルだとは思っていなかったのだ。慣れていると言われても、丸で、怪我か病気でも患っている様な不健康な色に、少し肝が冷えた。手を握れば、自分の熱が移って温かくなるのではないか、とほんの少し思ったが、それこそ陽介に「女の子にやれ」と忠告されてしまうだろう。だから、冷えた手をそのままにすることに戸惑いを感じながらも、月森は勢いで掴んでしまった彼の手を離した。指先の冷たさだけがやんわりと残る。
「お前の手、あったかくていいな」
 羨ましい、と陽介は、寒さで少し紅潮した頬が微笑む。些細な遣り取りだが、何となく本気で、カップルだと錯覚しそうになった。恋人だったらきっと、じゃあ手を繋ごうか、となるだろう。そうすれば寒くないよ、と、月森は手を差し出せただろう。
(もどかしい――)
 言えば良いのか、感情を捨て去れば良いのか。他意なく「じゃあ手を繋ごうか」と言える程の無邪気さはない。言うならばきっと、本気で奪うつもりになるのだろう。陽介の心を。ぐるぐると考えてばかりいる。平穏な日常を取り戻したから? 年を越えれば、もう直ぐにでもいなくなってしまうから?
 陽介はまた背を向けて先を歩き始めた。
「手の冷えてる人は、心が温かいとかって言うじゃん? だったら、冷え性の人は皆、心があったかいってことにならね?」
「渡る世間に鬼はないってことじゃない?」
「へ? 鬼ばかりじゃねぇの?」
「テレビドラマだろ、それ」
 諺はこっち、と言うと、陽介はまた腕を組んで首を傾げた。肝心な所で知識が不足している残念加減は相変わらずだ。
 陽介は振り返ると、また手を擦り合わせて、今度は息をはぁと吹き掛けていた。白く息が染まっている。その背後には目指していたクリスマスツリーが見えて、イルミネーションの色取り取りの灯りが、目映い光を放っていた。
(ツリーの下には宝物、か)
 ふむと一人で納得しながら、また一つ勉強になったらしい、目を瞑って微妙に考え込んでいる陽介の冷えた手に、ポケットの中に入れたホッカイロを握らせた。
「これ、あげるから、使って良いよ」
「わ、サンキュな! なんだ、こんなもん隠し持ってたのか、相棒」
「寒いからな。クリスマスプレゼントってことで」
 そう言った瞬間に、目の前を白い物体が通過した。周囲から、わぁと歓声が上がる。
「うお、ホワイトクリスマスとか」
 道理で寒い訳だ、と陽介は頷く。
「って、プレゼントがカイロかよ!」
「ないより良いだろ。陽介は用意してないと思ったけど?」
 むぐ、と呻く様な声を出して、陽介は黙った。
 もしも本当にあげるなら、何が良いだろうかとは考えた。普段つけていない様だし時計とかどうだろうかとか、アクセサリーでは少々独占欲が強く見られるかも知れないなとか。冬ならば手袋やマフラーも、ずっと身に付けられて良いかも知れない。自分のあげた物が彼の手元にあったら、どれだけ幸福だろうかと思うのだ。冬の間だけでも良い。どうせ、春には消える。
(と言っても、ホッカイロが関の山か)
 ぎゅっと握り締めている冷えた手を見るに、少なくとも、今夜中はホッカイロを手放さないだろう。それだけでも十分だ。
「だったら、カイロなくして寒そうなセンセイにはこれだな」
 陽介は急に、巻いていたチェックのマフラーを解くと。月森に手渡した。
「手編みでもねぇし、お古だけど、カイロの礼にしたら上等じゃねぇ?」
 ウインクしながら言うので、月森は狼狽した。渡された物を握り締めた手が、僅かに震える。
「え、いやあの……冗談だぞ?」
 ホッカイロを本気でプレゼントにしたいと思った訳ではない。恩を着せるつもりも更々なかった。それでも、指先に籠められた力が、プレゼントを離すまいとするので、本能に忠実な身体を心中で密かに笑う。
「いーよ、別に。首んとこ、寒そうだし、家にマフラーならあるし。ついでにジュネスの製品だって、宣伝しとけ」
「商売上手だな」
 くすりと笑って、受け取ったマフラーを首に巻いた。
(うわ、どうしようこれ……なんか、オレンジっぽい香りするし……)
 じわじわと頬が熱くなってきた。
「さって、ほら、お前写メ撮んだろ? それともデジカメ持ってきた?」
「や、そこまでは」
「んーじゃ、お前もツリーと一緒に撮ってやるから、そこに立て」
「え? 俺は別に」
「ほら『お兄ちゃん』。後でそっちに転送するから」
 腕を引っ張られて、強引に立たされて、月森は渋々、陽介の携帯に、ぎこちなく笑ってみた。
「ふっつうに笑えっつの。ま、こんなんでもいいか。菜々子ちゃん喜ぶぞ」
 にっと陽介は猫の様に口の端を上げて、笑う。まさか自分が被写体になるつもりはなかったので、月森は溜息を吐いた。写真写りには今ひとつ、自信がない。おまけにこの人の出だ。先程、陽介がご丁寧に指摘してくれた様に、周囲を取り囲むのはカップル。その中で、写真を撮られている自分と言うのは、非常に恥ずかしい。転送してくれると言うが、普通にツリーを撮ってそれだけを菜々子に見せようと思った。そう考えて携帯を構えたところで、そうだ自分ばかり撮られているのではなく、陽介を撮れば良いのだ、と思い立った。思い立って、直ぐに細い二の腕を掴む。
「俺ばっかりフェアじゃない。陽介もここに立て」
「うえっ? 俺が? なんで」
「こんなところで写真撮られるの、恥ずかしいんだって。やってみろ」
 選手交代とばかりに陽介を立たせて、月森はカメラを起動させる。
「ちょ、ちょい待て、月森。やべー……、これ、はずいわ」
「だから言っただろ」
 お前が先にやったんだから、と睨むと、一度詰まったが、陽介は覚悟を決めた様に顔を上げた。
「菜々子にこっちも見せるから、ちゃんと笑えよ」
 仕返しとばかりに微笑むと、陽介は肩を竦めた。
「えーそれ、お前が言っちゃう……?」
 先程の月森は、羞恥もあって、上手く笑えていなかった。自覚はある。しかし、上手いこと陽介の写真を手に入れる口実が出来たのだ。これを活用しない手はない。勿論、ジュネスのお兄ちゃんも大好きな菜々子も喜ぶし、一石二鳥なのだ。
「しゃあねぇなぁ」
 陽介はそう言うと、口元を綻ばす。恥ずかしいと言う言葉の通りなのか、照れた様に頬は淡く朱色に染まっていた。櫨色の瞳が三日月の形に変わる。そんな、コンマの間での変化を、月森は射る様に見詰めた。気付いたら特別な位置を占めていた相棒。それ以上の感情を向けている人。
 もみの木の下にいる人にはキスをしても良いという言葉を思い出さない様に、慎重に、月森はシャッターを切った。

最後ヤドリギの下だったか忘れたっていうか荒川アンダーザブリッジで見ただけ…
主花の両片想いに思わず悶えて書きました
月森の考えが良く分からないから月森視点は非常に書きにくいですね 陽介視点にすればよかった!

back