夏と言えば海に山にと選択肢は多々ある。海水浴にスイカ割りもあれば、登山やピクニックなどにも打って付けだろう。しかも学生は夏休み。宿題さえ除けばいくらだって好きなことが出来る。そんな中、特別捜査隊のメンバーも集まって遊ぼうという話題になるのは、ある意味では必然でもあった。
「じゃじゃーん! りせ、いいもの見付けてきたよ!」
「なにこれ?」
りせが出したのは、沖奈市の地図だった。紅いサインペンで丸が付けられている。
「これ、何があるの、りせちゃん」
「えっへへ……ここにあるのはぁ、廃病院なんだ」
「へー、廃病院かー……って、廃病院!?」
うん、とりせは元気良く頷いた。
「結構有名な場所なんだって、マネージャーが言ってたよ」
「ちょっと待て、りせ。有名って、何にだよ!?」
決まってるよぉ、とりせは楽しげに笑うと、両腕を胸の辺りまで上げて、両手をだらんと下げた。言わずともがな、ゼスチャーで分かる。
「お、ば、け」
「本当に出るのか?」
「心霊スポットだって言ってたよ。センパイ、ここで肝試ししよ! もっちろん、りせはセンパイとー!」
りせが腕に抱き着いてくるのは毎度のことなので気にすることもないが、やんわりと離して地図に着目する。紅い徴が付けられているのは、沖奈駅と八十稲羽駅の中間地点で、どうやら稲羽市からも歩いていけそうな距離だ。
「夏と言えば肝試しってことスか? 俺ぁ、そういうの嫌いじゃねっスよ」
「完二くん、男だねぇ」
「肝試し……やったことないね、千枝」
反応を見るに、皆も肝試しには意欲的なようだ。年若い男女が集まればそれもまた致し方なし。
「チエチャン、ユキチャン、リセチャンも、みーんな、クマと一緒ね!」
もちろんこういうイベントのお決まりは月森も分かっている。一緒に組んだ相手が怖がるところに、そっと手を差し出したり、驚いて抱き着いてくるとかそういうハプニングが起こって距離が縮まるという寸法だ。
「そういえば、陽介は?」
先ほどから言葉を発していないが、陽介がいの一番にこういうイベントには食い付くのではないだろうか。不思議に思って隣を見ると、陽介はさっと目を逸らした。
「陽介、こういうの好きだろ?」
「あのな、お前が俺をどう思ってんのかしらねぇけどさ、こういうの、よくないだろ。死者への冒涜っつーか」
「ヨースケこわいクマ?」
「んなっ!」
クマがいきなり背をなぞったらしく、陽介は飛び上がった。
「……怖いのか」
「ちげぇから!」
「じゃあ反論もないようなので、決行は今夜。今から場所に向かうという方向で」
おー、と陽介以外が腕を上げた。
「大丈夫だよ、陽介。陽介のことは、俺が守るから」
恍惚のポーズは浮かべないが、ともかくにこりと笑って言うと、どうやってだよ、と陽介からは返ってきた。
「てか、違うからな」
「分かった分かった」
考えてみれば、繊細な性質の陽介が、お化けやその類いに恐怖するとて不思議はないのだ。全く可愛いなぁと思いながら笑っていると顔に出たのか、陽介に背後から膝で蹴られた。分かってねぇだろ、と目が怒っている。
*
そこは見るからに心霊スポットと呼ばれそうな場所だった。寂れた病院の建物は、三分の一くらい崩れていて、壁も大部分、塗装が剥げてしまっている。手入れされていない敷地は荒れ放題なのか草がぼうぼうと茂っていて、正面から見えるだけでも窓硝子は半分以上が割れている。硝子製の入り口扉は割れてこそいないが、金属部分には赤錆。りせが「こわい」と言ったのも頷けるし、さすがに皆、生唾を飲み込んだ。
「なぁ、相棒。マジではいんの? 祟られたりとかしねぇ?」
「あ、テレビ局で聞いた話だと、心霊スポットから帰ってくると、そのまま霊が取り憑いてて、ポルターガイストとか……」
「やめろぉ!」
陽介が怯えている。シャドウの攻撃でも恐怖した状態になることはしばしばだが、日常生活においては見たことがない。被虐趣味はないつもりだが、震えている姿は可愛いので、恐怖からではなく別の意味で心拍数が上がった。
「あ、クジ引きも用意してあるよ!」
じゃーん、とりせが割り箸を高々上げた。見せて貰うと、箸の下の方には番号が書かれていて、それがペアになっている。
「一人余っちゃうから、一人は待機ね」
「三人にしないのか?」
「えぇー、そんなのおもしろくないよっ!」
「だったら俺が残っててもいいぜ? 皆で楽しんで来いよ」
「それは却下」
「なんで!」
何でも何も、陽介と組んで行きたいのにここに残留されたら困るからに決まっている。しかし完二や千枝も、だったら私が残ると言い出すものだから、結局陽介だけが抜けるという発言は却下されることになったのだった。
「大丈夫だって、陽介。俺がいるんだから」
「えー、センパイはりせのこと守ってくれないの?」
「陽介の方が怖がってるからな」
「違ーう!」
ぶんぶんと首を振っていまだに認めようとしないが、彼のシャドウが出てきたら暴走するだろうと思うくらいには、怖がっているのは明らかである。よしよしと頭を撫でると、やめろ、と払い除けられた。
「花村センパイばっかりずるい! じゃあ、クジ引くよ」
りせは完二に向かって箸を突き出した。それから千枝、雪子、クマ、月森、陽介と回ってきて、残った一本がりせに充てがわれる。
「俺ぁ、1っスね」
「あたしは3」
「よよよ……クマはなんも書いてないクマぁ」
「それは外れだから待機だな。俺は2」
「えぇー! センパイとがよかったなぁ。はぁ……仕方ないから完二でガマンしてあげる」
「ガマンってなんだこらぁ!」
「あ、千枝とだ。やった」
「お前なんか細工でもしてんの……?」
陽介は2と書かれた箸を月森に向けた。いいや、と月森は首を振る。
「神の見えざる手、じゃないか」
ナニソレ、と陽介は肩を上げた。
*
一番目は完二とりせのペアだった。一階から三階までを適当に回り、三階の壁にマジックで徴を付けておくというのが簡単なルールだ。脅かす役がいるわけでもないし、何事もなければ何事もなく終わるはずである。
「何事もってなんだよ!」
「世の中には俺の知らないことが多々あって」
「うわぁん! 俺もうやだ! 帰る!」
油断すると逃げ出しそうな陽介の手首を掴んで、しっかりホールドした。段々、隠す気もなくなってきているのか、陽介はさっきから帰るとばかり言っている。向こうでは雪子がじっと病院を見ていた。
「ゆ、雪子は……その、あたしが守」
「ねぇ千枝、出てきたらアギ、効くかな。りせちゃんいないから、弱点が分からないね」
「シャドウじゃないから」
「そもそもペルソナは出てこないだろう」
やるならハマの方が効果的な気がするが、テレビの外ではペルソナ能力は使えないので意味がない。真剣に言う雪子は、見た目よりも豪胆なので、怖くはないのかも知れない。クマが陽介と何やら言い合っていると思ったところで、りせの甲高い声が急に響いた。
「ひぃっ!」
「りせちゃん、何かあったのかな?」
「雪子、こわいこと言わないでよ……」
でも悲鳴、と雪子は淡々と言うものだから、ますます陽介が怯えている。雪子の言う何かがあるのか、実際に何か起こったのかは分からないが、今日は風も強く、それが元で悲鳴を上げるような事態になったとて不思議はないだろう。窓硝子が割れているので、風はいくらでも入り込んでくるのだから。
「陽介、大丈夫だって」
「お前の大丈夫は信用できねぇよ!」
何故と思ったが、陽介は首をぶんぶんと振るばかりだった。
「情けないわねぇ」
千枝は腰に手を当てて溜息を吐いた。月森が見たところ、彼女も十分、怯えていたような気はするが、それはそれ、これはこれなのかも知れない。
「あたしが守ってあげよっか? なんちゃって」
くすくすと楽しそうに千枝は笑う。思わず、二人が肝試しでパートナーだった場合を想定してしまった。
『なに怖がってんのよ、あたしがいるじゃない』
『里中こわくないのかよ!』
『んー、自分より怖がってる人がいると平気っていうか? あ、あそこに白い影』
『ぎゃぁぁぁ!』
『あははは』
『里中!』
『大丈夫だってば。ほら、手、繋いでてあげるから』
男女の配役的には違う気がするが、結構理想的な形になっているような気がするので、頭の中からそれを追いやった。
「里中には天城がいるだろ」
「へ? うん……冗談だよ、月森くん?」
「戻りやしたー」
声がしたので入り口を見れば、完二と、しっかり彼の腕にくっついてる涙目のりせが戻ってきた。やっぱり怖かったよぅ、とりせは顔を歪めている。
「りせちゃん、大丈夫?」
雪子が近付くと、りせは彼女に向かって抱き着いた。余程怖かったのだろう。
「あのさー、りせちゃん……なんか、悲鳴みたいなの聞こえたんだけど」
「り、りせじゃないよ!」
雪子に掴まったままりせは首を振った。どうやら叫んでしまったのが恥ずかしいらしくて否定しているようだが、陽介は「じゃあなんだったんだよ、さっきの!」と冷静さを欠いた頭での情報処理能力が限界値を越えてしまっているらしく言葉をそのままに受け止めて叫んだ。全く可哀想にと思って月森が頭を撫でると、ついには拒絶すらまともにしなくなってしまったくらいである。
「次、センパイらっスよ」
マジックを渡す後輩に頷いて、陽介の方を見た。
「ホントに行くの……?」
「当然だろ。巽と久慈川にだけ行かせて俺たちは帰る、なんて出来ないし」
引き摺ってでも連れて行こうかと思ったが、手を引っ張ると、諦めたように陽介は後ろからくっついてきた。
入り口は元々、自動ドアだったようだが、今は電気系統が動いていないので、手でこじ開ける。受付の机もロビーの長椅子も掲示板も、何もかもがぼろぼろで、灯りもなく、差し込んでくる月明かりだけでは心許ない。不気味だな、と思う。
「陽介、大丈夫か?」
「むり」
握っていた手首を離して振り返ると、陽介はふるふると首を振った。
「手でも繋ぐ? 怖かったら、抱き着いてもいいんだぞ……?」
「抱き着くかー!」
「叫べれば大丈夫だよ。行くぞ」
お前なんでそうなの、と陽介はまた頭を振った。
「おもしろがってんだろ」
「まさか。俺は、そんなこと思っていないよ」
ほら、と手を差し出すと、陽介はまじと掌を見詰めた。
「でも意外と言えば意外だった。テレビの中では、シャドウなんて相手にしてるのに」
「あれは実体があんだろ」
「実体があれば怖くないの? 幽霊ってある意味実体を持っている気がするけど」
「わーわー! 幽霊とかそういうこと言うな! 寄ってきたらどうすんだよ!」
陽介自身も言っているのだが、恐怖で混乱しているのかも知れない。テレビの中での精神状態への影響ならば重複しないのに、不憫なことだ。
「……可愛いなぁとは思ってる」
ぽそりと言うと、全然うれしくねぇ、と返ってきた。
「だから、手を繋いでれば怖くないよ」
ね、と笑うと、陽介はじっとこちらを睨むように見た。
「今まで、俺が陽介の嫌がるようなことをした?」
手なんか離したりしない。補助輪のない自転車を押さえているのでもないのだ、手を離す必要もないのに離すなんてちっとも考えていなかった。
「……おまえが、こわいです」
「何で」
心外だと思って肩を上げると、陽介は大袈裟なくらいに溜息を吐いた。
「悪い意味じゃないぜ? なんか……お前、いつかどこかで俺のこと突き落とすような気がしてんだけど」
中々に鋭い洞察だな、と月森は感心した。
「だから普段は優しいってか……や、ホント別に、腹黒いとかそういう意味じゃなくてだな」
「陽介は、今ここで突き落とされたいんだ」
「こ、ここで!? てかマジなの!?」
「そうしたら恐怖も吹き飛ぶかも知れない」
ただし、別の意味で恐怖が生じても責任は取れない。
「嫌なら手を繋いで大人しく行こう? 離したりはしないから。……離さないよ、絶対に」
「信じるからな」
(嘘なんてつかないのに)
けれどその言葉でいつか突き落とされるかも知れない覚悟くらいは必要だろう。