完二は悩んでいた。修学旅行で訪れた、ラブホテル崩れの、ふわふわとはしているが形が如何わしくまた色も非常に怪しいベッドの上で、クマや鳴上と並んで寝転び、目を閉じながら、悩んでいる。ベッドを盛大に拒否した陽介は独りでソファに眠ると言い張った為に、この三人での就寝となったのだ。電気を完全に消すと眠れないから、とこれも陽介が言う為に、部屋には常夜灯の黄色い灯りが点ったままで、目を開ければ、クマの足の裏が見えた。何となしに、視線をソファに移す。陽介は薄っぺらい毛布を一枚被り、丸くなっていた。小刻みに身体が上下するので、眠っているのだろうと思う。
「……なんっでこんなことに」
鳴上と陽介の担任であり、生物教師の柏木について、完二も知らないではない。派手な化粧に、挑発的な胸の開いた服、そして過剰な自意識。驚く程に美人と言える訳でもない、歳の随分と離れた女教師には男子高生も見向きもしないのだが、その点を理解しておらず、また、こうした微妙な、お世辞にも品が良いとは言えないスポットにすれば生徒が喜ぶと勘違いしている女性だ。第一、宿泊という性質上、異性で泊まることは有り得ないのだし、同性同士でこんな場所に放り込まれても、空気が良くなる筈がない。こと、男同士ならば尚更である。
真っ先にソファで足を組んで寛いでいた鳴上は論外だとして、それにしても陽介の怯えようも相変わらずだった。恐らく一番迷惑だと思っているのは彼なのだろう。完二も勘弁して欲しいとは思うが、もうどうにでもなれという気持ちも強い。
(ったく、あのダンジョンの所為で俺は……)
八十神高校に転入してきた探偵、直斗にどきっとしたのは、見た目が中性的だった所為も大きい。背も非常に低く、小柄で、瞳も男にしてみれば大きめ。元々、女性の好みとして、りせや雪子の様な、はっきりした女性らしい子よりも、サバサバして、男勝りな位の方が好みだと思っていたこともある。その上、あの頃は本気で自分が女性的な趣味を持つことに悩んでいたとかそういう事情があって、あの様なダンジョンが形成された訳だ。完二はそう信じているし、それを見ても、自分の性癖を疑いはしない。しかし、傍から見ればそうではないというのも頷ける。
『陽介は多分、昔になんかあったんじゃないかな。男に襲われた的な』
林間学校では自分も確かに完二を拒否していた様な気もする鳴上は、適当に勝手なことを言って、一応は後輩を慰めてくれたのだが、もし本当にそうなら、陽介には同情を禁じ得ない。それがこんなところに投げ入れられたら、怯えるのも頷けるが、違うと言っているのだから、完二にしてみれば、失礼なことだとも思うのだ。
しかし普段は、非常に気の良い先輩であることも事実だった。ともすると敬語を忘れがちで、先輩への敬意も置いていきがちな完二にも、別け隔てなく接するし、接触するのを拒否する訳でもない。世話焼きで面倒見も良くて、優しい。女性受けは頗る悪い様だが。
「完二、何、陽介を見詰めてるんだ」
「うええっ!? な、鳴上先輩、起き……」
「静かに。陽介が起きる」
「あ、スンマセン」
急に声を掛けてきたのはそちらだと言うのに、鳴上が厳しく言うので、思わず謝ってしまった。
「って、別に、見詰めてなんていねーっスよ!」
振り向いてみれば、クマの足を挟んた向こうにいる鳴上は、疑わしそうな視線で完二を見ている。
「なんスか、その目」
「陽介に何かしようとしてるんじゃないかと警戒して」
「はぁっ!? だっ、だから、んなことしねーって」
「声がデカイ」
「スンマセン……」
鼾をかいて起きる気配のないクマと異なり、ソファの方からは少しくぐもった声が聞こえた。慌てて振り返ると、ソファの上で、もぞもぞと動いている。うぅ、と呻く様な声がした。
「ほら、陽介が起きるだろ」
もぞもぞと動いていた毛布の塊が、動きを止めた。耳を澄ませると、また、安らかな寝息が聞こえてくる。どうやら起き出さずに済んだようだ。安堵しながら、また鳴上の方へ振り返る。
「サーセン……てか、起きても別に」
「陽介の安眠妨害は万死に値する」
どこから出てきたのか、鳴上は黒縁の眼鏡を右手で揺らして見せた。陽介曰く、あれを掛けると鳴上の性格が変わるから気をつけろ、とのことである。確かに、どことなくサディスティックになる様な気は、完二もしていた。その気になればペルソナを召喚でもしそうな姿に、完二は肝を冷やした。気を付けます、と言う位しか出来ない。
「眠れないのか?」
「まぁ、こんなとこっスから……」
クマの寝付きの良さは驚くべきものであるが、あれだけ怯えておきながら、いざとなればちゃっかり眠れる陽介も、中々、剛の者であるらしい。こちらだけが無駄に悩んで損をした。完二が背後をちらりと見ながら溜息を吐くと、鳴上は眼鏡で手遊びしていた手を止め、また完二の方に強烈な視線を向けた。
「無防備に寝てるのが気になるんだ?」
「や、だから、別に」
「陽介は信頼しちゃうとノンストップだからな」
「アンタが言うんスか」
「可愛いだろ」
前に、完二の編みぐるみにもそうコメントしていた気がするが、今回もまた、核心をつかれた様な気がして、思わず息を止めてしまった。
「だから、その、可愛いって……」
「陽介は可愛いよ」
怯えてるのも困ってるのも、無防備に信頼しちゃってるのも。鳴上はさらりとそう言うと、眼鏡を顔の前に掲げて見ていた。テレビの中では使えるが、基本は度の入っていない、言わば伊達眼鏡に過ぎない。嵌め込んであるのは、現実世界で言えばただの、硝子だ。通して覗いて見ても、変わった物は見えてこないだろう。
後ろから、うぅん、と小さく声が聞こえた。
「可愛いって、普通の感想なんスか……?」
直斗が可愛いとか、陽介が可愛いとか。クマの着ぐるみ(と呼ぶべきかどうかは実際良く分からないが)が可愛いとか、マスコット人形が可愛いとか言うこととは訳が違うのである。完二は特別に思ったことはないが、りせが可愛いとか、千枝や雪子が可愛と思うのとも違う。
(だって、男同士だろーが!)
「完二も、そう思ったんじゃないか?」
いつの間にか眼鏡を掛けていた鳴上は、常夜灯の薄明かりをレンズに反射させ、口角を上げた。表情だけでサディスティックなのは、何とも褒め難き性質である。美形であることは疑いようがないのだが。
兎も角ベッドに腰掛けようと提案しただけで、陽介は顔を青くした。嫌だ。何だか怖い。怯えと言う程でもないが、困惑した様にそう主張する陽介に、最初は完二もカチンと来ただけだった。林間学校でもそうだが、毎度、その様に言われるこちらの身にもなって欲しい。大体、林間学校ではその所為で偉い目にあったのだ。だから、何事もないと反論するが、陽介の怯えは、形ある物ではないのだ。漠然とした、抽象的過ぎる不安。具体性がないから、完二が幾等言っても、分かって貰える筈もない。悪魔の証明の様なものだ。それでも言わずにいられないと、半ば諦めながら陽介と口論している内に、何かが可笑しくなってきたのである。
(なんかこう、怯えてんの見てたら、可愛いとか……)
正しく、鳴上の言う通りなのだ。それで完二は悩んでいる。先程まで自分の性癖に疑問を抱いていなかったのに、それが揺らいだ。何か可笑しいのではないか、と。それで眠れないでいると言うのに、相手の方は、風呂も上がってさっぱりしたところで、ソファに丸くなってぐっすりと眠ってしまった。あどけない寝顔を覗かせて。鳴上に比べても細身で、完二から見れば随分と小柄な身体が小さく上下するのを見ていると、本当に歳上なのだろうかとすら思う。性格もそうだが、顔も童顔なきらいがあるのだ。
「普通かどうかは知らないけど」
「っスね……」
少なくとも、鳴上は余り普通ではないだろう。薄々勘付いている様な、オープンにしている様な、この先輩はちっとも読めない。頼れるリーダーだと思って付いていくと、途中で脇道に逸れているのである。油断出来ない。
「……さっき、写メってましたよね」
「タイトルは事後」
「事後って言わんでください。あれ、俺の携帯にも転送してくれねっスか?」
「断る」
「なんでっスか!」
写っているのは、自分とクマと陽介の筈である。何と言ったか完二は知らないが、確か、写真を撮られない権利があったとか聞いたことがある気がする。それを一方的に侵害しているのに、その言い草は何なのだろうか。
「俺が、陽介の写真を他に回す訳ないだろ」
事もなげにそう言う鳴上を見ていると、流石にここまではなっていない、と思うのだ。仮に、もしもの仮定だが、危ない方面に足を突っ込みかけているとしても、ここまでではないだろう。
「全く、陽介は魔性なんだ」
好きでそんな風な訳でもないだろうに、それどころか迷惑でしかないのだろうと言うのに、こともあろうに親友にそんなことを言われてしまうのだ。後ろですやすや安らかに眠っているあの先輩は、非常に不憫だなと完二も思った。
「そこが可愛いんだけど」
女子に一生懸命言い募っても相手にはされず、そのケはないのに男からは一方的に好意を持たれて迷惑している、――その、魔性で不憫な陽介は、確かに可愛い。
「う、うぅ……ん……」
不意に声が聞こえたので背中が跳ねた。完二が振り返ると、またもぞもぞと動いた所為か、毛布が少しずり落ちている。寝顔が視界に収まって、固まってしまった。また背後から「完二」と語気を強めた声が響く。
「ジャックランタンとヤマタノオロチとどっちが良い? それともイザナギか?」
「理不尽っスよ!」
見ただけで、と抗議したかったのだが、眼鏡が光って見えないレンズの奥の瞳が怖くて、思わず、ひぃっと声が出た。と、間を隔てて板クマの足が、急にバタリと一度動いた。
「ヨースケぇ、クマ、ヨースケの反応見に来たクマ……よ……」
鳴上の眼鏡がまた、無駄に反射して光った。
完二くんが陽介と言い合ってるときに紅くなってたのが気になって気になって気になって……