dizzy daydream

 ブライダルコーディネーター、ウエディングプランナー。幾つか呼び名は存在するようだが、月森は前者を名刺に記載している。特にどちらがという拘りはないが、親友に、前者の方が響きが良いと言われたことに由来していた。
「あの、そちらの方が担当してくださるんですか?」
 明るい日差しが広い窓から差し込んでいる。結婚の相談をするにも極めて良好と思われる快晴。同僚の女性がカップルの応対するのに手伝いで同席していたところ、新婦となるべき女性は月森の方に熱い視線を向けた。式の打ち合わせでも、こうした視線を向けられることは珍しくはない。同僚がちらりとこちらに目配せをする。肩を竦めて、月森は眼鏡のブリッジを押し上げた。そのまま、涼やかに営業用の笑みを浮かべる。
「私は、アシスタントですから。直接の担当は、こちらです」
「そうなんですかぁ……センスもよさそうだし、素敵な方だから、是非って思ったんですけど」
 上目遣いで言うのを、相手の男は鷹揚に笑って見ている。こうして笑い事で済まされている分は、まだ平気なのかも知れない。
「ふふ、彼は止めておいた方が良いですよ」
 担当予定の同僚は、意味ありげに彼女に微笑む。
「え、どうしてですか?」
 月森は額に手を当てた。またこれを聞くのかと思うと、憂鬱にもなろうものだ。
「彼はね、『クラッシャー』なの」
 誠に不本意ながら、それが、月森がこの職場でつけられている渾名なのだった。

 ブライダルコーディネーターとは言うが、実のところ月森の仕事は事務作業がメインだった。担当者と話し合って、式の外枠が決まったところで、会場の手配をし、それに始まり、メイクアップアーティストやフラワーデザイナー、カメラマン等との都合を合わせたり、当日の時間管理を行っている。普段は電話応対の作業も主導的に行う。基本的に暇はなく、多忙だ。実際にブライダルコーディネーターとして式を担当するすることもないことはないが、極めて稀なことだった。と言うのも、月森に付けられている渾名を聞いての通りの事情に拠る。
「彼が担当するとね、必ず、ご破算になってしまうのよ」
 月森には、同僚が笑顔で言うのを苦々しく聞くしか出来ない。それと言うのも、その破壊率が何と脅威の100%である為だ。今までに月森が、担当した式で挙式を執り行った夫婦は、押し並べて全て、一つの例外もなく離婚の憂き目に遭っている。
 最初の内はそれでも、偶然だと流してきた。問題が遭ったと苦情が来た試しもない。またか、と冗談交じりに言われる程度だった。それが、離婚した夫婦数が二桁を突破した辺りから、社内でも不安視する声が上がるようになる。顔が良いから担当客は喜ぶが、一年としない内に瞬く間に離婚していく。いつしか『壊し屋』と噂されるようになり、遂に記念すべき(と言うのは非常に失礼なのだが)担当した20回目の夫婦が離婚したとの報告を受けた日、社長から言われたのだ。馘首にはしないが、式を担当するするのは、出来る限り控えるように――と。そして、ブライダルコーディネーターとしては最大級に不名誉だろう『クラッシャー』の名を戴いた。
「ジンクスを破りたいのでしたら、彼に賭けてみても良いと思いますが、当社としては、オススメ致しかねます」
 ちらりとこちらを見たので、月森は首を左右に振った。結局は客商売であることだし、彼女が言った様に全てを伝えた上で了解を得て何件か担当した例もあることはあるのだが、惨敗している。今では月森は、ブライダルコーディネーターというよりも、事務方以外では、ウエディングピアニストのようなことばかりをしていた。このピアノの腕前がなければ、それこそ本当に馘首だったかも知れない。幸いなことに、今の所、ピアノを弾いただけでは離婚者も出ていない。
 どうしよう、と新婦は新郎に楽しそうに微笑み掛ける。仲睦まじい様子だ。結婚式を挙げるという行為の性質上、幸福そうなカップルばかりを見ている。
(別れそうには、到底見えないな)
 ちくりと胸が刺されるような心地になった。月森には決して望むことの出来ない幸せの形が、そこにはいつもある。けれど、それを見ているのが辛いと思うなら、こんな仕事を選んだりはしない。
(いや……そうすべきだと思った、からかも知れないな)
 ふ、と息を吐く。窓の外に目を遣ると、どこまでも青い空が広がっていた。雲のない晴天。今日は大安吉日。全てが整っている。これで壊れたら、それこそ『壊し屋』だ。
「俺たちなら絶対に別れないから、やってみてもいいんじゃないか」
 男は恋人の手を取ると、自信ありげに頷いた。対抗心かも知れない。今までにも、恋人に色目を使っただのと身勝手な言い掛かりを付けられたことはあるし、お前には負けないと謎の宣言をされたこともある。男の表情は、それに似ていた。
「式自体は、素晴らしい物にしてみますよ」
 そうは言っても、月森もブライダルコーディネーターの端くれだ。式を担当することが許容されるのであれば、担当したい。素晴らしい式にする自信はあった。それならば、下手に及び腰になって機会を逃すのは惜しいだろう。カップルがノリ気になってくれたようなので、月森は一歩前へ進み出た。口角を上げて、瞳を柔らかく細める。綺麗な顔で笑う、と親友が言ってくれたことがあった。それを思い出して、『綺麗に』笑う。
 今までの式も、式それ自体は好評だった。どの夫婦も、素晴らしい式だった、と式にはコメントしている。礼状が届いているので間違いない。その礼状が、直ぐに離婚の報告に変わってしまうことだけが問題なのだ。
「ちょっと、月森くん、止めといた方が……」
「だから、俺が何かしてる訳じゃないんですって」
 ジンクスは所詮ジンクスに過ぎない。実際、離婚の原因だって様々だ。確かに最近の『ジンクスなんて打ち破ってやる』系のチャレンジャー若しくは月森への対抗心を持つ男には、人間性に問題があり、結婚後にはとんだ目に遭ったという話は多いらしいが、いずれも浮気に借金に性格の不一致と理由はそれぞれで、月森には非がない。加えて、ジンクスがあるということを事前に言って了解を得ていることと、式自体の質の高さから、苦情も出ていないのである。そもそも、離婚についての責任をブライダルコーディネーターに問えよう筈もない。客足も衰えていない以上、月森がここで働いていることは問題ないのだ。客の要望とあれば、式を担当するのも吝かではない。
「じゃあ、お願いします!」
 晴れ晴れとした笑みを見ながら、内心の拭えない不安を隠して、月森は眼鏡を上げる。
「お任せください。最高の式にして見せます」
 そう言って、月森はにこやかに笑みを浮かべた。

*

「で、また、別れたのか?」
「式から一ヶ月のスピード離婚でしたとさ」
 ご丁寧に礼状と離婚のご報告が手紙で届いた。差出人は新婦。月森への恨み言は書かれていなかったが、ただ一言、「本当に『クラッシャー』だったんですね」とだけはあった。その称号は聞くと割と本当に傷付くので、出来れば止めて貰いたいと月森は常々思っている。
「式はとても素晴らしかったのですが、暮らしてみて、彼のルーズさに気付いて云々」
「……まぁ、早めに気付いてよかったのかもな」
 陽介はソファに寝転がりながら、月森の報告を聞いている。チャンネルを弄っていたが、面白い番組は見付からなかったらしい、テレビを消してしまった。うん、と両腕を伸ばす。
「落ち込むなよ、月森。お前の腕がいいのは、俺も知ってるって」
 身を持って、と言い、陽介は身体を起こしてにこりと笑った。月森がその隣に座って眉を下げると、よしよしと頭を撫でてくれる。その手の心地に胸が疼いた。
「しっかし、なんでだろうな」
「俺だって知りたい」
 硬い声で言えば、陽介はあははと笑う。
「ですよねー……。月森のイケメンさに新婦が誑かされたってワケでもねぇし」
 陽介は心底不思議そうに、首を傾げた。
「眼鏡外したら? その眼鏡、似合い過ぎてんじゃね?」
 言いながら、陽介は両手で月森の掛けているメタルフレームの眼鏡を外した。何が面白いのか、まじまじとレンズを蛍光灯の白い光に翳して見ている。月森は目を細めて、眉間に皺を寄せた。こうしなければ、陽介の顔も良く見えない。
「外したら見えなくなるんだ。ほら、返せ」
 ぼんやりと輪郭は確認出来る。見えないからを口実に顔を近付けると、至近距離で櫨色の丸い瞳と目が合った。ぱちぱちと陽介は瞬きする。
「コンタクトにすりゃいいじゃん」
 そうは言ったが、持っていた眼鏡を月森の鼻の上に戻した。そのまま、何事もなかったかのように距離は離れて、陽介は転がっていたオレンジのクッションを膝で挟んで、足の前で両手を組む。
「だから、コンタクトだと、ちゃんと矯正出来ないって言われてるんだって」
 ブリッジを上げながら溜息を零すと、そうだったな、と陽介はカラカラ笑った。
(大体、眼鏡が似合うって言ったのは陽介だし)
 遥か昔に言ったことだ。忘れてしまっているのだろうか。月森にとっての重要性に比べれば、陽介にとってそれは大した意味のない言葉であることも確かだ。小さく身体を揺らしながら、陽介はどこか夢見心地のように瞳を揺らす。
「お前の担当した式、すごくよかったよ。ホントに」
「……それ、陽介が言ってもなぁ」
「仕方ねぇだろ!」
 慰めてんのに、と陽介は憤ったようにぶつぶつと言う。クッションを両手でびょんびょんと伸ばしていた。
(本当に、陽介に言われても――)
 月森はソファに背を預けた。高価だっただけあって、マンションを借りる時に一緒に用意した、このオフホワイトのソファは弾みが良い。眠りたい気持ちで目を閉じる。
(理由なら多分、分かってる)
 ガサリと音がした。どうやら、陽介は新聞でも読んでいるらしい。隣にはまだ、温かい気配を感じる。彼がここにいることも、突き詰めれば、それに起因しているのだ。
(あの日から)
 何年前だったかも記憶していない。東京の会社に勤めていた陽介は、ある日、月森に結婚すると報告をしてくれた。誰よりも先に、親友である月森に。その頃、月森がブライダルコーディネーターとなったことを聞いた為だったのかも知れない。そこで、初めての仕事を、自分の式にしてくれないかと笑った。あの時の笑顔を、月森はきっと生涯忘れない。親友の頼みを聞いて、月森は彼の式を担当した。それまでにアシスタントとして、式を手掛けるのを手伝ってきたことはあったが、自分が主として担当したのは初めて。それでも大きなミスはなかったし、全て、滞りなかった。当日も、問題は起こっていない。
 オーソドックスな教会での挙式。丘の上、真っ白なウエディングドレス。あの日は、つい先日見た真っ青な空と同じ、酷く晴れた日だった。月森は彼の為に、ピアノで結婚行進曲を弾いた。祝福の意味を込めて。けれど、きっとその音色には、最大の祝福と同じ位に積もった、最大の恨みと妬みと呪いが込められていたのだ。
 告げたことは一度もなかったが、高校時代からずっと陽介のことが好きだった。親友としての感情ではなく、恋愛として。愛していた。けれど、彼に想いを告げることは許されない。だから、いつか想いが叶うと思った訳ではないし、彼の結婚を祝福していた。誰よりも。だから月森は、自分に出来る限りに於いて、最高の式に仕立てたつもりだし、彼を祝福する意味で、ピアノを奏でたのだ。演奏にもミスはなく、情感溢れるそれに、陽介は式が終わってから月森に「最高のプレゼントだった」とも言ってくれた。
 けれど恐らく、そこには祝福と裏返しの表裏となる、彼への恨みと新婦への妬み、そして――二人への呪いが込められていたのだろう。それは、月森が初めて『壊した』夫婦だった。
 月森はゆっくりと目を開く。隣の陽介は、目を開けたのに気付いたらしく、月森の方を見てにこりと笑った。
「疲れてんのか? もう寝る?」
「いや。書類が多くて、目が疲れただけ」
 適当に誤魔化して頭を振る。全て、陽介には知られてはいけないことだ。非現実的だとしても、知られたくない。
 あの日から永劫に、月森は呪われ続けているのだ。大切な友人の式を呪った代価を己で払うように。
 式を挙げて一年、陽介は浮気したと奥さんに糾弾されて、そのまま離婚した。彼が語らないので月森は直接的な事情を知らないが、あの生真面目で愛情深い陽介が浮気したとは到底思えない。陽介は決して、そういう人間ではない。誰よりも傍でそれを見て、知っている。彼自身、親友で相棒である月森ならば、自分の身の潔白を疑うことはないだろうと思っているのだろう。だからこそ、何も言わない。
(俺が陽介の幸せを『壊した』)
 別れた奥さんには同情しない。行き違いがあったとしても、陽介を手放してしまったのは仕方のないことだろう。けれど、と思うのだ。きっと、呪いが成就してしまったのだろうと、非現実的でも月森はそう信じている。あのピアノが奏でた戦慄は、陽介を不幸にした。身勝手な自分の感情で。
 慰謝料は払っていないらしいが、奥さんに新居を明け渡してしまった陽介は、実家に戻るのも肩身が狭いと、どこか借りるまでで良いから泊めて欲しい、と月森の元を訪れた。
(恋は罪悪、か)
 昔、教科書で見た小説を思い出す。独りで住むには広過ぎる部屋に、月森は、不自由がなければ同居してくれて構わないと提案した。陽介は寧ろ有り難そうにそれを受け入れて、あれからずっと、ここで暮らしている。時が止まったように、この部屋はいつも静かだ。
「ま、俺はもう結婚は懲り懲りだな」
「俺の前で言うのもどうかと思うけど」
 自責の念がある。陽介の家庭を壊したのはきっと、自分だ。祝福するという言葉の裏で、嘗て見た、幾千も連なる呪言を吐いていた自分の責任。だから、生涯、彼に好きだとは言わないだろう。言える筈がない。
(それに――)
 元々、陽介に好きだと告げることは許されないと自分を律していた。だから黙って別れたのだし、忘れようともした。離れても友人として、彼の恋愛の相談を受けたこともある。あの日の結婚式も、祝福した。それは確かに呪いと紙一重ではあったけれど。いずれにせよ、好きだとは言えない。何もかも、悪いのは自分だ。
「なぁ月森。お前がよければさ、俺って、まだここにいても平気?」
「……良いよ、陽介が好きなだけいれば。場所が良いから借りたけど、ここは広過ぎるだろ。俺も結婚する気はないし、部屋は余ってる」
「もったいねぇの。モテんのに」
 唇を尖らせると、陽介はこてっと隣に座る月森に身体を預けた。彼の顔に掛かった髪を避けて、そのまま少しだけ感触を楽しむ様に触れる。こんなことにも慣れていて、陽介はくすぐったそうに笑うだけだった。
(今の時間だけで、十分だ)
 いつかまた、陽介は誰かに恋するかも知れない。それまででも構わないから、傍にいたいと願っている。
 けれど、彼がまた結婚するのだと言ったら、式を手掛けてあげようと思うのだ。最大級の、彼への愛と、祝福と、呪いを込めて。その為だけに、この手は存在しているのだろう。そう思いながら、月森は髪を梳く手を止めて、陽介に寄り添うようにして瞼を閉じた。

ずっと陽介に片思いな主人公萌え。なのに呪ってくる理不尽さ萌え。
主花の方向性に迷ってるとしか思えない話ですが、
幼い頃に結婚式のピアノ弾くバイトの話を母から聞いたことがあり、
それを思い出しながら結婚行進曲弾いてるときに、
呪いながらピアノを弾く主人公の姿がふと浮かんだんです。そんな主花。

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