ねこっぽいはなし

「家の近くに猫がいるんだけど」
「……改めて言われなくてもいっぱいいるよな?」
 陽介にも言われた通り、月森の家の周辺には猫が多い。それと言うのも、月森の所為である。最初に猫を見付けたときは、単なる暇潰しで、特段の猫好きということはなかった。どちらかと言えば犬の方が好きだ。ちなみに、ときおり陽介も犬のように見えてくることがあるのだが。とかく、陽介がバイトで忙しいとかで暇だったのだ。それで、やはり暇だったので釣った魚などを持っていたので、ついつい餌をあげてみたりしたところ、その猫は懐いた。猫にしては珍しく、月森を見ると擦り寄ってくるようになったのだ。気を良くして魚をあげていると、いつしか、『魚をくれる人』が定着してしまったのか、猫は一匹、二匹と増えてくる。そして今では、簡易猫屋敷の完成だ。しかもこの猫たちは非常に賢く、月森が来るときを見計らって出てくるのである。近所の人や遼太郎などに文句を言われたことはないし、菜々子が引っ掻かれたというような事態もない。安心して手懐けているのだが、猫たちは決して、部屋には入ってこなかった。
「それは陽介が構ってくれないから」
「俺の所為にすんなよ」
「まぁとにかく、家に寄ってくる猫じゃないんだ」
「うん?」
「黒猫と茶猫の二匹で、俺が餌をあげようとしても全然近付いてこない」
「めずらしーじゃん、お前に懐いてない猫」
 家の周りでも月森に猫が寄ってくる様子を見ている陽介は、少しおかしそうに笑った。
「そう。俺もそう思って、気になってね……写メでも撮ってみた」
 これが、と携帯電話を開いて画像を呼び出すと、陽介は画面を覗き込んで、ふうんと頷く。
「で、ちょっと遠いから、もう少し近付いて――って思ったら、これ」
 画面を変える。
「茶猫がログアウトした」
「そう。そーっと近付いたんだけど、茶猫は警戒して後ろに下がった。それなのに、この黒猫の余裕っぷり」
 茶猫は後退して写メに写っていないのに対して、黒猫は堂々と座っている。微塵も動いていない。
「すげー……」
「中々おもしろいだろ?」
「や、おもしれぇな。なんかその猫、相棒みたいじゃね? 黒くって、堂々としてる!」
「それなら陽介は警戒心たっぷりの茶猫だな」
「ははっ、危なくなるとすぐに相棒の後ろに隠れるんだ」
「そう。俺はちゃんと、陽介に危険がないかずっと警戒してる」
「なにそれ、カッコイイな」
 隣に座っていた陽介はことんと身体をこちらに預けた。ハニーブラウンの髪をさらりと撫でてやると、くすぐったそうに目を細める。
「まぁ、お前はいつもカッコイイからな」
 うんうんと陽介は頷いている。
「陽介も可愛いよ」
「男にそれは褒め言葉じゃないと思うんだけど」
「かっこいい、ときもある」
「やっぱ褒めてないだろ」
 本当なのに、と言うと、陽介は苦く笑った。
(外にいると警戒心が強いんだけどな)
 アウトドアという意味での外もそうだが、アウタースペースという意味でも同じで、簡単に近付いてくる割に、内側にまでは踏み込ませない。更に、内側に踏み込んだ相手以外には、容易に触れさせてくれないのだ。昔も今も陽介は、月森をすごいとか頼りになるとか言うし、全くそれは変わらないのだが、意味合いは随分と異なっているように思う。陽介の言葉を借りて言うならば、「どこかで信用していなかった」なのかも知れない。
「俺はどっちでも構わないと思うけど? 陽介のことを称えたいだけだから。どっちが良いかなって思ったときに、しっくり来る方を使っているだけ」
「相棒、カワイーって言われたらうれしいの?」
「それはしっくり来ない」
「理不尽だ」
「それなら今後はかっこいいにするよ」
 あぁでもやっぱり可愛い方が似合うかなと思って髪を梳いていると、言葉だけ変えればいいってもんじゃない、と陽介に指摘された。バレているらしい。
 外にいると、あまり距離が近すぎてはいけないと陽介は強く言うのだが、反対に、部屋で二人きりになると、ぺたぺたと近付いてくるのはむしろ陽介の方なのである。つまるところ、TPOを弁えた結果だということなのかも知れない。陽介に触れられるというのは、何も、物理的な接触のみを意味しているわけではなく、身体的接触もそうではあるが、内側の、心に触れられるということが大きいだろう。しかしながら、髪や手、頬に唇にと触れるのを許容されるというのは内側に触れられたからでもあり、何とも鶏と卵のような論争をしているような心地にもなる。本人には一切、関わりのないことではあるのだが。
 思い立って手を取り、ついでに指先にキスすると、「お前って指フェチなの?」と不思議そうに問われた。
「よく指触るよな」
「陽介の指が好きなんだよ。綺麗だし」
「そうか?」
「自分では分からないよ、そういうことって」
「あ、俺は、眼鏡掛けてるお前が好きかな」
 陽介がにこにこと笑うので、これは期待に応えねば、と月森は制服のポケットからいつも使っている黒縁メガネを取り出した。
「俺は、陽介のオレンジ色の眼鏡も好きだよ」
「さんきゅ」
 こう? と眼鏡を掛けて陽介の顔をじっと見詰めると、ぱっと陽介の瞳が輝いた。
「うんうん、やっぱ似合ってる。学ランとも合うしなぁ」
「すっかり学ラン慣れしたかも」
「授業中も眼鏡掛けてればいいのに」
「視力は良いんだけど」
「あ、つかもったいないよな、学校で眼鏡すんの。眼鏡の相棒が見られるのは特別捜査隊の特権てか」
「大袈裟だな」
 肩を上げると、陽介は月森の眼鏡を取った。
「何の変哲もない眼鏡だよな……どうなってんだろ、これ」
「クマに聞いてみたら?」
「聞いてみたけど、なんか……要領を得ないっつーの? 結局ワカラン」
「まぁ、仕組みは重要なことでもないし」
「テレビに入れることとかも?」
「そうなるかな」
 結局のところ、重要なものは実体化されたものであるとも限らないのだ。それこそ真犯人の某が言っていたことと同じ、誰が犯人でも構わないという人々の目線とも同じだろう。それならその某が犯人でなければ良い、という理論にはならないが、どうにもマヨナカテレビの構造というのはそのように出来ているらしい。
 陽介は持っていた眼鏡をぱちんと閉じて、ぽいと投げてしまった。
「せっかく掛けたのに」
 陽介が似合うと言うから。
「俺は見慣れてるからもういいの。ほら、眼鏡って邪魔だろ?」
「キスするときに?」
 我ながらベタなことを言ったな、と思ったが、陽介はにこりと笑った。分かってんじゃん、と。
(やっぱり部屋だと文句言われないんだな)
 お言葉に甘えてキスしようと思うと、先に陽介の顔が近付いてきた。軽く触って、にこにこと笑っている。
「機嫌いい?」
「悪くなる理由がねーもん」
 外でもこれくらい甘えてくれて一向に構わないと思うのだが、陽介はその辺、警戒心が強い。
(あの茶猫も、同じだったりして)
 自分の知らない場所、知らない人だから警戒しているだけで、本当に、傍の黒猫とならぺたぺたくっついているかも知れない。それなそれで、ますます手懐けたくなってきた。
(陽介という警戒心の強い猫……か犬を手懐けた実績もあるし)
 ぐっと拳を握ると、どうかした、と陽介は小首を傾げた。
「何でもない。猫は可愛いな、と思って」
「猫派なの、相棒」
「そうなったかも」
 陽介の所為だ、と彼諸共にベッドに倒れ込んだ。
「なにが俺の所為なの」
「全部全部陽介の所為。猫屋敷なのも、好きな子を部屋に連れ込んでばっかりなのも、嫉妬してばかりなのも」
「脈絡ないだろ、その三つ」
「不純同性交遊しちゃうのも」
「モロキンに怒られそうだな」
「逆に怒らないんじゃない? 不純異性交遊はしてないんだから」
「違うのかよ」
「違わないな」
 バカだな、と陽介が笑うので、バカになったのも陽介の所為だと訴えた。
「何もないと思っていた心の中がいっぱいになったのも、陽介の所為」
 最初にベルベットルームで言われた言葉を思い出す。ワイルドの力、という人とは違う力を持っていた月森は、何にでもなると言われたが、「カラ」であるとも言われた。心の中に尊ぶべき絆は存在せず、ただ、空虚だったのだ。そう言われても仕方がないような生き方をしてきた自覚はある。人との関わりの重要性を教えてくれたのは、仲間たちであり、そうして一番最初に絆を感じた陽介だ。そのことにも感謝している。陽介は一番の友人、仲間であると共に、それ以上にすべてが欲しいと思ってしまった相手なのだ。
 彼の、普通の幸せというものを願わないわけではないのだが、それ以上に月森の方が欲張りだった。手放せないと思ってしまったのだから仕方がない。
「……んじゃ、今の俺があるのは相棒のお陰」
「えっ、何かズルイ。俺だけ嫌な言い方してるみたいだろ」
「事実じゃん」
「じゃあ全部陽介のお陰にする」
「俺がカッコイイからだな」
「そうそう陽介がカッコイイから全部いけないんだよ」
「あれ……? また俺、悪くなってんの……?」
 お詫びにキスしてよ、と言うと、陽介は眉間に皺を寄せた。
「詫びでもいいのかよ」
「何でも良いよ、キスしたい」
「甘え番長だ」
「じゃあ、いい子いい子して」
 陽介はぱちくりと瞬きしたが、くすくすと笑うと、月森の頭を撫でた。
「いい子いい子。今までよく頑張りました」
「もう少し頑張るよ」
 三月になってしまうまで。言外にそう込めて言うと、バカだな、とまた陽介は笑った。
「ずっとだろ、ずっと。頑張ればいつだって頭くらい撫でてやるんだから」
「ずっと?」
「トーゼン」
 約束、と小指を出すと、陽介は笑った。心配性だなぁ、と。

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