1 月森柚樹
「ところで物は序でなんだけど」
「うん?」
急にノートに走らせていたペンを止めて、月森は顔を上げた。試験が近くなると、いつも月森と共に勉強している。分からなければすぐに聞くことも出来るし、彼といると何故か集中して勉強出来るので捗るのだ。そんなわけで、今日は月森の部屋にいる。
(序で?)
序でに何かあるような話をしていただろうか。陽介が顔を上げると、銀色の瞳と目が合った。月森は、にこりと微笑む。
「俺、陽介のことが好きなんだ」
「俺も、月森のことは好きだけど?」
特別捜査隊の仲間として、そしてもっと言えば、彼の相棒として。陽介は月森のことを特別な親友で、好きだと思っている。首を傾げると、違う違う、と月森は右手を振った。
「愛しているって意味」
陽介はぽかんとした。
「え、なに? なんの冗談?」
陽介は、混乱している。プリンパかテンタラフーでもされたみたいに、頭の中をハテナが飛び交っていた。いきなりこの友人は、何を言い出しているのだろう。混乱しているのは、彼なのだろうか。
「冗談じゃなくて」
本気だよ、と月森はきっちり笑った。
「なんで、物の序で告白すんの? おかしくね?」
「決意が鈍らない内にと思って」
「そんなん……鈍ってもよかったぜ?」
「良くないよ」
ちっとも良くないと言って、月森は陽介の手を握る。
「恋人にならない?」
銀月みたいな目が陽介を捉えている。この瞳にとことん弱い。
「大事にするよ」
ね、と言われたときに陽介はこくりと頷いてしまった。
2 月森孝介
「ねぇ陽介。陽介の初恋を俺にちょうだい」
「無理」
陽介は瞬時に右手を振った。日頃から陽介が好きだと言って憚らない月森には、陽介も慣れている。頓狂で突拍子もない発言も慣れている。
「落ち込むなよ」
「即答しなくても良いだろ……」
そして、断られて彼がしょげるのにも慣れているのだ。
「あのさぁ、俺、お前に言ったと思うんだけど。俺の初恋って、幼稚園のときなの。もう終わってんの。どうやってあげんだよ」
しかも、小西早紀という思い出もある。よしんば、幼稚園はノーカウントにしてみたとして、彼女の存在を否定することは出来ない。しかも、何か、どっかの少女漫画のタイトルでも参考にしたみたいなことを言われても困るのだ。
「無理なんだって」
「それじゃあ俺は、初恋を陽介に捧げる」
月森は嬉しそうに笑う。
「この先、誰にも渡らないよ。陽介にだけ」
そして顔を近付けて、瞳と唇を三日月のように曲げて言うのだ。
「……そっちが本題だろ」
何のこと、と言う風に月森は笑っている。
狡猾なのだ、この友人は。友達で良いとか何とか前は抜かしていたような気がするが、ちっともそんなつもりがない。外堀を埋めて、陽介の目を自分にばかり向けさせている。明日にでも絆されてしまいそうな気がするのは全部、月森の責任だ。
「そう考えると、初恋って重いものだね」
「自分で言うんか……」
目を背けると、重いだろ、と月森は笑う。
「早く陽介が諦めてしまえば良いのにね」
「なにを」
「何だろう。普通の恋愛とか?」
3 鳴上悠
「陽介が好きだー!」
屋上から聞こえてきた声に、陽介の目の前は俄に暗くなった。
「鳴上くーん、花村倒れたよー?」
「リーダー……ぶふっ、なにあれ……ッ」
そのまま急速に意識は落ちる。
次に目覚めたのは保健室だった。
「陽介! 急に倒れて大丈夫だったのか!?」
(お前の所為だよ)
しかし、悪気のなさそうな鳴上の善良な顔を見ていると、そこまで手厳しく言うのも難だろうかと思ってしまうのだ。どうにもこうにも、陽介はこの相棒に弱い。
「悠……俺は、朝っぱらから朝礼であんな目に遭うとは思わなかったんだよ」
しかし少しは苦労も分かって欲しい。まさか、いつも通りの爽やかな朝、晴れ渡り、青い空に白い雲が悠然と浮かぶような善き日に、友人から全校生徒と全教師の前で告白されるという椿事は、正直、ハート的に無理なのである。
「だって、一条が」
鳴上が屋上にいた経緯については知っている。バスケ部に入部する際、鳴上は、一条と『出来るだけサボらずに部活動をする』と誓約していた。一条は、真面目に活動を行いたかったらしいのだ。もしもそれを破ったら、
『朝礼のときに屋上で、好きな子に告る』
という、どこかのバスケ漫画みたいな約束を交わしたらしい。しかし鳴上は、真面目に活動していなかった。よって制裁。
「朝からキッツイ冗談は勘弁」
「冗談じゃない。俺は真面目だ」
「へ?」
「一条にも冗談はやめろって言われたけど、違う。俺は陽介が好きだから言ったんだ」
返事は、と鳴上は陽介の手を握った。
4 瀬多総司
小西早紀の弟、尚紀とのことで行き詰っていた陽介は、何でも出来るし逆らう者はいない無敵の友人、瀬多の力を借りようと考えた。頼りきりだとか言われることもあるが、瀬多はいつも陽介に優しくしてくれるし、今回のこともきっと、力になってくれるに違いない。
「頼む、瀬多! 付き合ってくれ!」
「良いよ。付き合おう」
陽介は両手を合わせたまま顔を上げた。瀬多は爽やかな笑顔を浮かべて、陽介の手を上から握っている。
(なんで、手掴まれてんの?)
内容も知らずに頷いてくれるのも瀬多らしいと言えばらしいが、それにしても即答に過ぎる。驚いていると、瀬多は急に右手だけ離すと、陽介の後頭部に触れた。きょとんとして、されるがままの陽介が瞬きをしていると、顔をが近付いてくる。
「へ?」
そのままキスされて、陽介の目が点になってしまった。
「陽介が俺のこと好きだったなんて――、まぁ、知ってたけど」
えっ何言ってるのこの人、と陽介はいろいろな意味で頭の中を掻き混ぜられていた。全く、意味が分からない。
「ち、ちが……付き合うってそういう意味じゃないから!」
普通に考えて、同性の友人がいきなり『付き合って』と告白するはずがない。
(瀬多、なに考えてんだ!?)
「違ったのか? じゃあ付き合おう、陽介」
「じゃあ!?」
「俺は陽介が好きだからな」
世の中、わけの分からないことばかりである。
「陽介も、俺のことが好きだろ?」
あんまり自信満々に言うので、陽介もすっかりそんな気がしてしまった。
5 月森柚樹
思わず、お前には関係ないだろ、と言ってしまった。
「あっ、わ、ワリィ……」
謝ったけれども、陽介に非はないはずだ。
女の子から呼ばれて教室を出て行って、珍しくも告白なんてされてみたりしたものの、今のところそういう相手を作ろうとは思っていなかったので残念ながらお断りした。早紀のことがあって、どうも、一歩踏み出せないでいることが多い自覚はあったが、連続殺人事件の捜査にもバイトにも忙しいという事情もある。そんなこんなで、多少は罪悪感を持ちながら教室に戻ろうとしたところで、友人に腕を掴まれた。そして、今の呼び出しは何だったのかと問われたのだ。
最初は、商店街のことでいろいろ言われていることも彼は知っているし、また何か悪い方に呼び出されたのではと心配してくれたのだろうかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。女の子だったけど告白でもされたのか、とか、まるで悪し様に言うものだから、全く意味が分からず陽介は些か気分を害したのだ。どういうつもりか知らないが、女の子から告白されただのどうだのということは、全く月森には関係のないことである。
「関係あるよ」
だから逆に、そう、月森が言い出したときには何事かと思った。
「……いや、関係ないだろ」
毒気を抜かれてそう言うと、月森は首を横に振った。
「俺は、陽介が好きだから」
「はい?」
「だから、陽介が告白されたかどうかということとは大いに関係がある。分かった?」
「そ……そう、だな」
思わず納得してしまった。
6 月森孝介
反転したとまではいかないものの、明らかに自分の体勢が変わっている。天井が見えていたと思えば、また、逆光を背負う月森の顔が視界に入り込んだ。
「えええっと……?」
窓から差し込む橙色の光も、暮れ始めの紫にうっすらと染まる。暗い。表情が良く見えないのに、ナイフの先の様に鋭い銀色の視線だけは、ひどく、網膜に浸透している。
「つ、き、もり」
「俺は、甘い物が特別に好きだから、陽介にチョコレートが欲しいと言った訳じゃない。誰かと親しくしている姿を、たとえ、仲間とであっても、黙って見ていられるほどに寛容でもない。好きだと言ったら、――好きだと返して欲しいから言ってる。なぁ陽介、陽介は何も、分かっていないよ。俺がいつも、どんな気持ちで過ごしているか、知らないだろう? 女の子からのチョコを受け取っている姿に、どれほど、嫉妬しているかとか。りせと、二人で楽しく出掛けたとか――そんなこと後から知って、愉快だと思うと思うのか? 心穏やかに過ごせるって? 冗談じゃない!」
唇がぶつかると、苛立ち紛れのように、そのまま舌が差し込まれた。怒っているのだと脳が認識するよりコンマくらい先に、月森の長い指先が、シャツの内側に侵入する。外からの来訪者の指は、ぞっとするほどに冷たかった。
何か言葉を差し挟むべきなのだろうと思ったが、喉が乾いて、言葉が見付からなかった。実際問題として、唇は封じられているので声が出せそうにもないのだが、そんなことも意識には登ってこない。
7 月森柚樹
今日誕生日なんだよね、と月森は突如として言い出した。
「えっ、マジで?」
「うん。祝ってくれ、と言いたいわけでもないんだけど、黙っておくのもアレかなと思って」
「そっか。教えてくれてありがとな。おめでとさん、相棒!」
月森はにこりと微笑んだ。
「でもそんなら、なんか用意したいよな」
どうせ言うなら、朝から言ってくれれば良かったのに、と思った。ここに来て迎える誕生日は初めてのはずだ。学校でも祝われているのを見ていないし、もしかしたら、陽介にだけ明かしてくれたのかも知れない。無論、遼太郎や菜々子は別としてだが。
(そういうの、ちょっとうれしいかもしんねぇな)
特別だと陽介は言ったし、月森もそれに頷いてくれている。もちろん、それは分かっているけれど、こうして態度でもそれと示されたら嬉しいに決まっているのだ。
「なぁなぁ、なにか欲しいもんとかねぇの?」
「あるよ」
「おっ、俺に用意できるもんなら、なんでも用意するぜ!」
「きっと、陽介にしか出来ない」
えっと思って顔を上げると、手首を掴まれて、突然身体を倒された。
「陽介が欲しい」
「――!?」
「陽介なら、何でもあげるって言ってくれると思って期待してたんだ」
びっくりして声も出せずにいると、月森はくすりと笑った。
「冗談」
「お、おまえな……」
言って良い冗談と悪い冗談がある、と抗議しかけると、月森は見下ろすまま微笑む。
「好きな人に祝って貰えるだけで十分」
好きだよ、と彼は囁いた。それは嘘じゃないから、と。
8 月森柚樹
シャドウに向かって飛び出していったところ、反撃に遭って腕を斬られてしまった。陽介、と背後から声が飛んでくる。目の前のシャドウは彼のペルソナの攻撃によって消滅した。名前を呼んで、月森はすぐにこちらに駆け寄ってくる。
「危なかった……腕、見せてみて」
「はは、ワリィ、相棒」
腕を確認した月森は、自身のペルソナを呼び出すと、回復魔法をかけてくれた。傷がすぅっと癒えていく。
「どうして前に出るんだ」
「つっても、天城や里中がいんだし、女の子危険に晒したりできねぇだろ?」
「カッコつけるな」
こつんと額を軽く指で叩かれた。
「俺が心配するだろ」
「だーいじょうぶだって!」
「大丈夫じゃない」
眉間に深い皺を寄せた月森は、溜息を吐くと、自分の額と陽介の額をくっつけた。至近距離で睫毛が動いて見える。
「大丈夫じゃない、って言うのは陽介が頼りないってことじゃないよ? 俺が、大丈夫じゃない。俺は、好きな子が前に飛び出していくのが不安で仕方ないんだ。分かってよ」
「え、それって――」
「俺、陽介が好きなんだから」
どきんと心臓が跳ねた。
「月森、その」
「おーい月森くーん、あたしたちもいるんですけど」
「千枝、そっとしておかないと。あ、RECの方が良いかな」
背後から二人の声が聞こえたので、陽介はうわぁっと心臓が飛び上がりそうになった。振り向くと、千枝が微妙な表情で見ている。
「別に月森くんが誰を好きでもいいんだけど、堂々と告白するのはどうかと思うのよね」
「お幸せにね!」
9 桜誠司
長雨は嫌いだ。否応なしに、彼女のことを思い出してしまう。
(事件は終わったっつの……)
真犯人は捕まえた。だから事件はもうお終い。それなのにどうしても、雨が降るたびに気持ちが沈み込む。憂鬱になる。ビニール傘を濡らしていく水滴を眺めながら、まるでその小さな空間の中に閉じ込められてしまったようにも錯覚する。そんなはずはないのに。
「あれ、相棒?」
ぺたぺたと歩いていると、前方に黒い人影が見えた。傘も差さずに、空を仰いでいる。銀色の髪が濡れて光っているようだった。水も滴る――とは言うが、確かに彼は、水滴に濡れても美しい顔をしている。
(って、そういうこと言ってる場合じゃ)
「なにしてんだよ、相棒!」
慌てて傘の狭い空間の中に彼を入れると、桜は瞬きを重ねた。
「花村……?」
「こんなに濡れて、風邪ひいちまうだろーが!」
「どうしたら良いのか分からなくて」
はぁっと思わず声が出てしまった。
「どうしよう。花村に会ったら、困る」
「なにバカ言ってんだ。俺はお前が風邪ひいたら困るっつーの」
桜は平気だと言って傘から出ていこうとするので、陽介は慌ててしまった。逃げないようにと腕を掴む。
「おま、傘も差さないでなに言ってんだよ」
「困る――好きな子と一つの傘なんて入ったら、どうすれば良いか分からないだろ」
花村が好きなのに、と桜は呟いて顔を伏せた。狭隘な空間で、静かな呼吸の音が聞こえる。
「こ……困る、の?」
うんと桜は頷いた。こっちの方が、いきなりで困っている。
10 月森柚樹?
『手紙なんか残してゴメン。きっと、面と向かったら言えなくなると思うので、手紙に書くことにした。八十稲羽に来て、皆と、陽介と会えて良かったと俺は心から思っている。特に陽介と、心を通わせることが出来たのはきっと、何にも勝る幸運だった。離れても、と陽介は前に言ったし、俺もそうだと思う。けれど、傍にいられなくなるのは、別れてしまうのは辛い。取り分け、陽介と別れることはとても辛いんだ。きっと鈍感な陽介は気付いていなかっただろうと思うけれど、俺はずっと、陽介のことが好きだったんだ。どうして恋人を作らないのか、と前に聞いてくれたことがあったけれど、理由は簡単だ。好きな人がいるから。……陽介が好きだったから。きっと、陽介は迷惑だと思うだろうから、こうして手紙だけ残すことにした。もしも、陽介がこれを見付けてくれたら、少しは望みがあるんじゃないか、と期待してる。陽介は、今、こうしてこの手紙を読んで、どう思ってる? 気持ち悪い? 迷惑? そのどちらでもなければ良いと、それだけを俺は祈っている。煩わしいことをしてゴメン。少しでも陽介の時間が俺に割かれたなら、それも幸せなんだ。もし、陽介が今までの通り、友人でいたいと願うなら、どうかこの手紙のことは忘れて欲しい。忘れて、何も知らないフリをしていてくれれば、俺も忘れるように努力する。俺といたくなければ、迷惑だと言ってくれて構わない。もしも、受け入れてくれるなら――』
陽介は手紙を破ると携帯電話を開いた。
11 月森柚樹
「好きだよ」
月森は幾度となくそう言って笑った。端正な顔立ちに、スラリとした手足。何でも出来て完璧な友人が、自分にばかりそう言うのが陽介には分からない。同性相手に、そんなことを思うなんて、信じられなかった。
(きっと、気の迷いなんだ)
生まれ育ったような場所とも違うところで、稀有な経験をして、吊り橋効果のように、きっと、傍にいた陽介に良く分からない感情を抱いたに過ぎない。だから陽介は、首を縦に振ったりしない。彼がここを去って、どれくらいか経過したときに、気の迷いで男を好きになっただなんていう苦い記憶を残しておいて欲しくないのだ。陽介は八十稲羽の人間ではないけれど、これからも過ごすこの場所を、大切な友人にとって、綺麗な思い出として保持しておきたいと思う程度の感情は持ち合わせている。
「陽介が好きなんだ」
「だから、気の迷いだって」
思い出に残るなら、美しい方が良い。そう言うと、月森は柳眉をぎゅっと中央に寄せて、整った顔を歪ませる。
「俺は、ここで陽介にフラれる方が、余程、嫌な記憶として残るよ。もう二度と、八十稲羽に帰りたいと思わなくなるかも知れない――だって、それって失恋の記憶なんだよ?」
「五年も十年もすれば、そんなん忘れる」
「見縊るな」
ぴしりと言われて、陽介は後退ってしまう。睨むような目付きで月森は陽介を見ている。
「五年でも十年でも忘れない。俺はずっと、陽介を想う」
(呪いみたいだ)
それはまるで、自分を呪っているみたいに聞こえた。
12 月森柚樹
短いスカートがすぅすぅとしている。自分のつるっとした生足を見ていると激しい嫌悪感に襲われそうなので、陽介は極力上を見るようにしていた。誰が女装でコンテストなどを考え出したのだろうか。たぶんバカだ。絶大的なバカに違いない。
「陽介はやっぱり紅い色が似合っているね」
隣でじっとこちらを見ているのもたぶんバカだ。灰色の髪は三つ編みを結っていて、長すぎるスカートはどろりと重い。ミニスカートで生足なんかを晒させられている陽介に比べればマシなのだろうが、彼の方はと言えばその長さで隠せるがゆえに、スカートの中にはズボンまで履き込んでいて、納得がいかない気持ちでもある。
「リボンも可愛い。頭に付けているのも、色を合わせてあるの?」
「じろじろ見んなっつってんだろーがよ!」
「あ、ほら、リボンが曲がっているよ」
「某小説かぁ!」
首から下げているだけのリボンに曲がっているも何もあったものじゃない。
「女装って、美形なら似合うってものでもないんだなぁ」
「ウルサイ! だから、化粧が」
うん、と頷いて月森は頬を撫でた。
「でも可愛いから不思議。こういうのを、惚れた欲目って言うんだろうね」
「はぁ? ほ、惚れ……?」
好きだよ、と言うと、月森はさらりと唇を重ねた。
「ファーストキスが女装か」
「う、うわぁぁぁぁ!」
尻餅をついた。そして、いろいろな意味を込めて陽介は叫ぶ。
「あ、口紅がついた」
「なに考えてんだよッ!」
「? 口紅が混ざると結構刺激的」
「やっぱもう喋んな!」
13 月森柚樹と桂木
友人と友人が、睨み合っている。ちょっと自分でも良く分からない状況だとは思うが、似たようなツリ目の美形同士が顔を突き合わせてこれはまた、誠に不思議なことである。陽介は二人の友人の目の前で腕を組んで悩んでいた。
冬休み、都会にいた頃の友人、桂木の誘いに乗って東京まで出てきた。どうしても付いて行くと言って聞かないので、八十稲羽での親友、月森を伴ってである。友人を同伴して日帰りで遊びに行くということがそもそもおかしいのだが、これをどう言ってもいまさらなのである。仕方がない。
「花村の向こうでの友達って聞いてたけど」
「陽介が前にお世話になったそうで」
出来れば仲良くして貰いたいと思うのだが、この空気はどういうことだろう。
「花村、今日はうちに泊まっていったらどうかな。日帰りだと大変だろ?」
「やっぱりそう言い出すと思った。悪いが、陽介は俺とホテルに泊まることになっているんでな」
「えっ?」
それは丁重に断ったはずだが、桂木の方からもいきなりそんなことを言われても困る。
「花村は俺に会いに来てくれたんだよな?」
「あ、えと」
「陽介は俺と旅行を楽しみに来たんだ。会うのはついでに過ぎない」
「えーと……」
板挟みになってしまった。落ち着けよ、と陽介が二人の顔を見比べながら言うと、お前はどっちの味方なんだ、とステレオで言われた。
「俺は花村が好きなんだ」
「俺の方が陽介を愛してる」
「俺の方が!」
「俺の方に決まってる!」
(帰りたい……)
なんで、こんなことに。
14 月森柚樹
「えっ、好きな人? いんの?」
うん、と月森は頷いた。
「だれだれ? 教えてくれよ!」
「構わないけど」
陽介の相棒は女の子にモテモテだが、恋人がいるという話は聞いたことがない。それも、好きな人がいるというのであれば納得だ。
「同い年で」
「うんうん」
「クラスメイトで」
「まじか!」
「俺と良く喋っていて」
「うん」
「真面目で繊細でとっても優しくて可愛い」
「ほお」
「頼りになるしいつも俺のこと褒めてくれるし助けてくれるし特別だって言ってくれるし、それとガッカリって言われてるわりには結構モテてる気がするんだけど本人が全然気付いてないから俺ちょっと心配なんだよね俺のことも全然気付いてくれてないしつまり最終的には天然鈍感しかもドジっ子とかなにそれちょっと良く分からない」
「ちょっと待て!」
「どうかした?」
ことんと首を傾げられたが、不思議そうな表情をされる理由が分からない。あと、スイッチが入った途端にいきなり、マシンガントークすぎる。ここまで言われて『もしかして……それって、俺のこと……?』とか聞くのも野暮だとか、もうそういう話ではない。
「普通に言えよ!」
せめて。
「普通、ね。じゃあ、普通に言ったら、陽介は頷いてくれるのか? 好きです、俺と付き合ってください、って――言ったら、恋人になってくれる?」
「それは……」
「ほら」
「や、だからって、今のならいいかって話に」
月森はにこにこと笑っている。
「俺、狼狽えてる陽介を見るのも好きだから」
「そっちかよ!」
15 月森柚樹
悔いはないはずだ。
事件も解決して、最後の最後にイザナミノミコトにも会って、八十稲羽の怪異については解明された。彼がここでやり残したことはもうない。だから笑って、最後を見送ることが出来るのだと思う。りせが泣く気持ちも陽介には痛いほど分かったが、きっと、笑って見送ることこそが、親友である自分に課せられた務めなのだ、と思っていた。
「陽介」
もうすぐ発車する時刻だ。電車に乗り込む前の最後に、月森が名前を呼んだので、「どうした、相棒」と陽介は笑った。
距離があってもきっと、絆は変わらない。今はまるで今生の別れみたいにも見えるけれど、彼はゴールデンウィークにも戻ってくるのだし、電話もメールも出来る。
「なぁ相棒、やり残したこととかないよな」
月森は是とも否とも言わなかった。少しだけ表情が悲しそうに見えたので、首を横に振った。その行為にか、は分からないけれど、月森は軽く頷き、電車に乗った。ホームから発車ベルが鳴り響く。もうすぐ扉が閉まるという刹那に、月森はもう一度、陽介と言った。
「相棒?」
途端に扉が閉まる。彼の唇が何か囁いたようだったけれど、もう、扉の向こう側の言葉は聞こえない。
(なに、言ったんだ?)
相棒と呼んでみたけれど、きっと彼には聞こえなかっただろう。窓から顔を出したときには何事もなかったかのようにこちらを静かに見詰めていた。彼は最後に何を伝えようとしたのだろうか。
(ゴールデンウィークに――)
会ったら問い詰めてやらなければ。
16 月森柚樹と影
いつも通り、テレビの中の探索を終えて、ジュネスの家電売り場に帰還する。今日も疲れたなどと口々に言い合っていたところ、突然、陽介はテレビの中に引き摺り込まれた。あっという間の出来事で、声をあげる暇すらなく、バックヤードに落下する。うっかり腰を打ってしまった。
「いつつ……な、なんだよ、急に……」
「いらっしゃい、陽介」
頭上から声が聞こえてきたので顔を上げると、親友が笑顔を浮かべている。
「あ、れ……月森……?」
「少し違うかな」
温和な声音でそう言いながら、月森は陽介を頭からきゅっと抱き締めた。
「会いたかった。ずっとこうやって、独り占めしたかったんだ」
(違う?)
「つ、月森……じゃ、ねぇの?」
「違うよ」
急に解放されて、彼の方を見ると、金色の瞳がきらきらと光っている。これには、嫌というほど見覚えがあった。
「シャドウ――」
同じ形をしているのだから、当然、月森のシャドウであるはずだ。彼にもシャドウがいたのか、と陽介は驚いた。初めて見た。
「好き」
「月……森……」
そう呼ぶのが正しいのか分からないけれど、他に呼び方もない。
「陽介が好き。誰にも渡したくない。俺だけの物にしてしまいたい」
そうだろう、と影の彼は笑った。金色の瞳が、陽介の背後をじっと見ている。
「俺は、お前なんだから」
背後を振り向くと、眼鏡を掛けた、銀色の瞳の月森が佇んでいた。刀を握っている。
「どうして……現れたんだ」
「どうして? そんなの、自分の胸に聞いてみたら良いだろう?」
17 月森柚樹2周目
信じられないかも知れないけど、と月森は静かに呟いた。
「俺は、同じ時間を繰り返しているんだ」
「えっ……どういう、ことだよ」
「俺にも良く分からない。でも、こうして皆と過ごすのは二回目なんだ。俺は何でも知っていたんだよ――真犯人が誰かも分かっていた。そして、俺は……一度、陽介にフラレているんだ」
「俺が、お前を……振った?」
「そう。だからかも知れない。もう一度やり直したいと思ったんだ。そうしたら、また、八十稲羽に来たばかりの頃に戻っていた。そして思った。もう、陽介に好きだなんて言わないで、友達として過ごそうって。親友として、相棒として、ずっと傍にいられたらそれで良いから」
「だから……さっきの、否定したのか?」
「そういうことになる。陽介が好きだって知られたらいけないと思ったから」
「……俺、お前の言うこと全部信じられる、とは言えねぇよ。だって、なんかその……二回目、とかって、俺には記憶とかないし。でも、やっぱ嘘言ってるとも思えないんだ。やっぱ俺、お前のこと信じちまってる」
「陽介……」
「それと、もし、二回目で、俺とお前が出会ってたんだとしたらさ……振ったってきっと、なんかの間違いじゃないかって思う。っつっても、俺がお前のこと好きだとかそういう意味じゃなくて、でもなんか違うって思う。きっと勘違いだ」
「陽介……やっぱり、俺、陽介のこと……」
「てか、友達として過ごしたいって思ってんなら、人の机にキスするとかそういう変な行動慎めよ」
「そうだね」
18 月森柚樹
銀色の髪が、沈み始めた紅い陽に透けて輝いている。窓から柔らかく吹き込んでいる風がその髪を一本、二本と揺らし、とくとくと陽介の鼓動を刻んだ。
(絵になるよな)
ただ、教室で眠っているだけなのに。
綺麗な顔かたちというものは、男女問わず、見ていて良いものだと思う。最初は、羨ましいばかりのイケメンだと思ったけれど、共にテレビに入って戦って、肩を並べるようになって、その強さを知って余計にその銀色に惹き込まれる。多くの人がそうであるように。ただぼんやりと、陽介は銀髪に手を伸ばした。軽く一束を掬い上げて、その艶やかでさらりとした感触を指先に受ける。
(――綺麗だな)
「陽介?」
眠っていると思っていた相手に、急に名前を呼ばれたので、陽介は慌てて反射のように手を離した。
(うわっ! ってか、なにしてたんだ、俺も!)
客観的に見ても、自分の行動は正常ではない。眠っている友人の髪を手に滑らせて眺めていたなんて、どうかしている。
「陽介、今、何か」
「し、し、してない! なんもしてないから!」
月森は目を丸くすると、そんな挙動不審な態度で、と驚いたように呟いた。
立ち上がると、月森はこちらににじり寄ってくる。陽介が後退しても迫ってくる銀色の目、すぐに壁に追い詰められてしまった。
「陽介は素直だ」
わかりやすい、と月森は微笑んでいる。
「陽介は俺のことが好きなんだ?」
「……そ、そーだよ! 悪いか!」
自棄になって返すと、月森はそっと頭を撫でた。
「俺も好きだよ」
19 no name
屋上からトランペットの音が聞こえた。吹奏楽部の練習は基本的に音楽室でやっているはずなのだが、教室まで響くその音色を聞いたときに、なぜだか、呼ばれているように感じた。陽介はその音に導かれるままに教室を出る。まるで誰も、トランペットの音色など見向きもしていないみたいに、級友たちは談笑していた。どうしてそんな風に放っておけるのだろうか、と思う。こんなに、呼んでいるのに。
階段を上ろうとしたところで、長瀬と一条と会った。愛家に行かないかと誘われたが、それを断って上る。どうして急いているのだろうかと自分でも思った。ほんの僅かな距離なのに、焦る気持ちとスピードが、息を切らしてしまう。屋上の扉に手を掛けた瞬間、一度だけ立ち止まった。どうして、と思う。音は切れ、また、最初に戻った。
陽介は音楽が好きだが、音楽的なセンスに必ずしも恵まれた、とは言えない。音感もリズム感もそれなりにはあるつもりだけれど、例えば絶対音感はないし、楽器の良し悪しも、音の良し悪しも分からない。
(なのに、なんで)
一度だけ聞いたことがある。放課後、たまたま実習棟を歩いていたときに音楽室から漏れ聞こえた音を拾った。それが彼の音だ。同じだと思ったわけではない。確証なんてなにもない。
「――陽介?」
扉を開けた瞬間に彼がやっぱりそこにはいた。
「呼んでる、気がした」
「音は素直なんだ」
彼は笑い、『唇は黙し』と題名を教えてくれた。喋らずとも、音色が、「愛して」と語っていたことを。
20 no name
モテる人だから、女の子といくら付き合っても不思議はないと思う。がしかし、不誠実な態度はどうかと思うのだ。
「六股ってお前」
「来る者は拒まず、去る者は追わず、がモットーだから」
「そんなん言ってっと、刺されるぞ」
「はは、怖いな」
陽介は肩を上げた。皆この笑顔に騙されているのだ。
「なんでもいいけど、嘘つくなら、最後までつき通せよ?」
「どういう意味?」
「言葉の通り」
出来れば、裏切られたなんて知らずに生きていた方が良いに決まっている。自分にだけだと最後まで思わせてあげられる方が良いはずだ。だから陽介はそう、忠告した。
(嘘吐くんなら……最後まで)
いずれ破綻は見えていたのだ。六人も同時に交際して、それが上手く機能する方が普通ではない。その原因が、彼の愛する家族――叔父の遼太郎と従姉妹の菜々子が倒れたことによって出来た精神的な不安定さから来たものだとしても、素直に同情するには値しない。自業自得だ。
「だから言ったのに」
ちゃんと嘘はつき通さねばならないと、言ったはずだ。自分も相手も傷付いてしまう。可哀想にと頭を撫でてあげると、縋るような目で見られた。
「俺に本当に必要だったのは、陽介だったんだ。陽介が好きだ」
「俺はお前のこと、好きだったよ」
きちんと過去形にして陽介は笑った。嘘を最後までつき通してやらなかったのは、彼がそれを行わなかったからだ。因果は巡り、応じた報いを受ける。もはやどれだけ好きだと言われても、陽介は絶対に首を縦には振らない。
21 月森柚樹ジューン・ブライド
「だから、誤解だって言ってるだろ!」
「知るかー、んなこと!」
ゴカイだかフナムシだか何だか知らないが、全体として陽介には関係のない話である。
「付き合ってなんていないし、陽介にそう思われるのは心外なんだ!」
「だからッ、俺には関係ないだろが! 手ぇ掴むな!」
「ある!」
あまりにもきっぱりと断言するので、一瞬、怯んでしまった。
「俺は、陽介が好きだ」
「え――」
「好きな人に勝手に誤解されたままでいるのは困る。心外だ。なぁ、陽介」
思わぬ展開に、えっえっと陽介は反応に困ってしまった。
(すす、好きって)
「陽介は俺のことどう思ってる? 好きだなんて言われたら……困る?」
「こ……困る」
月森の眉が下がった。
「困らないのが、すっげぇ、困って……る」
先ほどまでの表情が一変し、月森はぱぁっと顔を輝かせた。
「困らないなら、俺と付き合おう、陽介」
「お、おう……」
頷くと、そのまま抱き竦められる。
「俺のジューン・ブライドになって」
花嫁にはちょっとなれる自信がない、と思って「それはちょっと」と陽介が口籠ると、突然、拍手が聞こえた。
「お幸せに」
「良かったなー」
「上手く行って良かった!」
「おめでとう、月森くん」
「ってここ教室! なにやってんだ!」
クラスメイトが口々に祝福の言葉をくれる中、陽介がひとりツッコんだところでどうにもならない。月森は嬉しそうに、「俺、陽介を幸せにするよ……!」などともう宣言している。
バカ軍団ですか、と後輩の声が聞こえた気がした。
22 おわり
去年は祝えなかったから、と、放課後に元特別捜査隊のメンバーのうち、八十稲羽に残っている者たちが集まって祝いの席を作ってくれた。ほとんどが時間を空けて集まってくれたのだが、りせだけは、その日は収録が入っているから、と不在だった。彼女も家こそ稲羽市にあるままだったが、活動を再開してから多忙な日々を送っているらしい。申し訳ないという謝罪と、当日に電話でおめでとうという言葉を貰ったほか、彼女の友人に新しく出すというCDを託していた。曰く、「花村センパイは、りせのファンだよね」だそうだ。間違ってはいないのだが、それにしても堂々としたプレゼントである。そんな彼女のからのプレゼントを渡した直斗は苦笑していた。久慈川さんらしいと言えばらしいですね、と。
その直斗も本業の依頼は減ることがないようで、事件があると呼ばれれば東に西にと日本を移動しているらしい。具体的な話は聞いても分からないから詳細は知らないが、天職だと本人の思う探偵業に勤しむ姿はむしろ幸せそうに思えた。基本的には忙しいようだが、その日はたまたま都合がついたのだと言っていた。そして、危険物を作り始めそうな二人の先輩の元で、はらはらとレシピを片手に見守っていたのだという。雪子と千枝は、手作りケーキを用意してくれたのだ。ジュネスのケーキじゃ味気ないでしょ、と千枝は言っていたが、彼女らの物体Xに比べればよほど――、よほどマシであるということは彼女らにも認識しておいて欲しいものだ。幸い、直斗のお陰で林間学校やオムライスのような大事には至らず、普通のケーキを拝むことが出来たのだが。
誕生日を祝うと言っても、ジュネスのフードコートに結局集まってしまったのは、習い性かも知れない。仲間たちは、ケーキの他にも、それぞれプレゼントをくれた。千枝は、陽介は喉飴が好きらしいから、と好物を用意してくれた。雪子はオレンジ色のハンカチ、完二が可愛らしい手作りのマスコットストラップ(可愛らしすぎて携帯電話につけられそうにはなかった)をくれて、クマはお手伝い券などと、まるで母の日か父の日の小学生みたいなものを作ってきた。直斗は人に何かを用意するのが苦手だ、と言って、自分の趣味で悪いがと短編小説をくれた。それはそれで一向に陽介としても構わないのだが、短いので読みやすいのではないか、花村先輩も書物を読んだ方が良い、との忠告は余計だったのではないだろうか。
「とまぁ、こんな感じで」
『そっか。楽しい誕生日だったみたいだな』
「楽しいってか、……まぁ、愉快な仲間たちっつの?」
ローソクを適当に、生クリームとイチゴで彩られたバースデイケーキに差して、部屋の中ではないから明るい日の当たる場所で、ローソクの炎を吹き消した。もう十八歳なんだね、と雪子が感慨深そうに呟き、アンタも歳相応の落ち着きってもんを身に着けなさいよ、と千枝には指摘された。
『白鐘の誕生日も、皆で祝ったんだろ? 久慈川のときは不在だったんだっけ』
「そ。なんっかまた、理由付けて集まってばっかいんだよな」
直斗は誕生日のその日に、りせは後日、やはりフードコートで、同じような誕生日会を開いていた。もう三人もこれで行なっているとあれば、今後もメンバーの誕生日にはフードコートで誕生日会が定番になるのではないだろうか。直斗の誕生日の際の発案者は陽介なのだが、これは決して、ジュネスの繁盛を目論んだものではない。りせはそのまま同じ場所でということになり、陽介が三度目だったのである。
誕生日を祝われるということに慣れていないらしい直斗なんかは、いちいち戸惑ったような行動ばかりだった。それでも照れながら彼女が歳相応の笑顔を浮かべてくれていたので、誕生日会は成功だったと言えよう。この時ばかりは、大事な友人の大切な日だもん、とりせも駆け付けていた。もっとも、仕事は休みだったらしいので、問題はなかったようだが。
千枝と雪子がそうであり、また、月森と陽介がそうであるように、りせと直斗も、今よりもさらに深い絆で結ばれることになるのではないか――そしてそうなる日というのは、そう遠くない日なのではないか。今は少しまだ気兼ねのありそうな二人の姿を見ながら、そんなことを陽介も思った。
『……ゴールデンウィークもいろいろあったし、結局、俺たちはいつでも仲間だ、ってことなんだろうな』
「お前も含めてな」
『ありがとう』
「俺の方こそ、真っ先に電話なんてくれて、ありがとな」
日付が変わったと同時に電話が来て、ハッピーバースディと言われたのだ。とんでもなく律儀な友人に、陽介は感動してしまった。りせのように、仕事をキャンセルにすれば参加出来るという場所にはいない月森だけど、こちらの皆が彼を忘れていないように、彼もまた、覚えていてくれている。まるで当然みたいに電話してくれるのだ。
(でも、せっかくなら会いたかったかな――)
会ってどうなるということはないけれど、何となく、顔が見たいと思った。電話でならいくらでも話しているけれど、傍で一年前に語り合っていたようにしたいのだと思う。離れるということは、どうしても淋しいものであるらしい。
『誕生日だから、なんて、告白とかされたんじゃないの?』
「えっ……なんで知ってんの?」
『最近、ガッカリ王子がガッカリじゃなくなったらしいって、里中が』
「なに報告してんだ、アイツ……!」
つい握り拳を作ってしまった。確かに最近、女の子に呼び出されたりとか、そういうことは少なからずある。
「四月に入って急にカッコ良く見えるようになったー、とかって言われても」
結局、断ってしまった。彼女が欲しいと方々で言っている陽介だが、告白されたら誰でも良いかと言えば、そういう、ものでもない。恋はそんな簡単なものではないのだ。それを思い知らされている。一年ほど前に、大切な人を亡くすという形で。
『まぁ、たったの二ヶ月で陽介の良さを分かった女の子がいる、とは確かに俺にも思えないけど』
「なにそれ。ちょっとカッコイイ」
『俺は全部知っているよ』
そうやって笑う月森の言葉はとても甘い。響きもそうだし、きっと、優しい言葉だからこそ、そう感じるのだろう。
『一番、知ってる』
「さすがだな、相棒」
(俺も月森の良さは全部知ってるつもりだけど)
格好良い、頭が良い、運動神経も良い。けれどそれだけではないし、語り尽くせるとも思えなかった。
『でも、ちょっと心配だな』
「心配? なにが?」
『いっぱい告白されているっていう話を聞くとね』
「や、相棒ほどじゃねぇっての」
八十稲羽では数多の女の子を振ってきたという、月森の伝説的な所業に比べれば、ほんの僅かだ。両手を使って数えられる程度。
『陽介、その――』
詰まったように、月森は二の句を継がなかった。どうしたかと思って首を傾げると、電話の向こうでコホンと一つ咳払いが聞こえる。
『窓の外、見て』
「うん?」
そう言われたので、寝転んでいたベッドから起き上がって、とことこと窓の方に向かう。窓を開けてみると、少し湿った風が頬を撫でる。真っ黒な空には月も星も相変わらず綺麗で、都会にいる月森にはこれだけの美しい夜空は見られないのだろうかと残念に思った。
同じ空を見ているなんて、詭弁だ。同じ空を見ているのは確かだけれど、見えているものは違う。空だけではなくて、ほんのすぐ先にあるものですら違うのだ。だから、マヨナカテレビは歪な形を映し出していた。見たいものを。望むものを。もうテレビは見えないけれど、今なら何が見たいと思うのだろうか、と暗いテレビの画面に視線を向けた。画面は、静かに眼の前のものを反射させているだけだ。
『今日の月齢は2.5。ほとんど三日月と言っても過言ではないかな』
「なんだよ、生き字引か?」
月齢とは何だったろうか。聞き覚えがないでもないが、良く知ってもいない。
『月が綺麗だって訳した英語の話は知ってる?』
「夏目漱石のI love you.ってヤツか」
『六月の誕生石はムーンストーン』
「聞いたことあるかも」
『蟹座の守護星は月』
「……月森?」
月に関する豆知識披露大会だろうか。意図が分からずに首を傾げる。
「なんか、お前、変じゃね?」
月森はすうっと黙った。
『あいたい』
突然、通話は切れた。ギョッとして画面を見る。通話時間は約十五分。陽介電話よ、と母親の声が聞こえたので、ともかく携帯電話をベッドに投げて、階下に下りた。
(無言電話?)
確かに陽介を呼んだ、と聞いたのに、電話の相手は何も語らなかった。母親も母親で、「陽介くんをお願いします」と言われて、そのまま名前を聞かないまま取り付いだらしいのだ。声は男だったと言うけれど、それだけでは何も分からない。
(月森、じゃないよな)
切れた途端に別の電話が鳴ったとは言え、自宅の電話に掛ける必要はないし、そもそも、無言というのは良く分からない。
(てか、なんで切れた?)
充電でも切れたのだろうか。けれど部屋にいるなら、充電器を使えば良いだけの話。その前に話していた、月の話の理由も分からない。首を傾げながら自室に戻った陽介は、もう一度、窓から月を見た。三日月が、細い灯りを揺らめかせている。
(……あいたい)
携帯電話を開いて見ても、ただの待受画面。思い立って新規メール作成を開く。アドレスと、簡単な文面を入れてすぐに送信ボタンを押すと、呆れてしまうくらいの速度で着信が返ってきた。
『河原まで出てきて』
もしもしとすら言わずに、それだけ、一方的な言葉で電話は切られた。それくらいならメールでも十分なのに。躊躇いを含んだ声が一息で、鼓膜にひりひりと張り付いている。
分からないけれど、分かる。陽介は携帯電話だけ持って、急いで階段を駆け下りると、どこに行くのかと母親に問われた。
「会いに来てるヤツがいて」
振り返りもせずにスニーカーの靴紐を結んでいると、「陽介がずっと話してた子?」と尋ねられた。ドアを開ける前に振り向いて頷くと、良かったわね、と母親は笑った。会いに来てくれたんでしょう、と。
(さっきの電話も……そうだ)
迷ったけれど、走って行くことにした。きっと、月森も自転車やバイクには乗っていないだろうから。
何でと聞くのはたぶん無意味だ。答えは知っている。大切な友人の誕生日だから仕事は入れないでおいた、ということとはわけが違う。それでもどうしても会いたかったというならきっと。
「――陽介!」
「おまえ……河原でって……」
目的地にはまだ辿り着いていない。でも、それより先に、目的の人に会うことは出来た。息を切らしながら言うと、待てなかったと月森は瞳を細めた。空に光る三日月のように。
「……俺がメールしなかったら、帰ってたのかよ」
「たぶん」
「バカ」
「だってこんなの」
――好きだって言ってるのと同じだ。
誕生日だから、だからどうしても会いたいから、だから、会いに来たなんて。ただの友達ではないとしても、お互いに『普通の』友人ではないと認識していたとしても。
「たかが生まれた日くらいに、死ぬほど会いたいと思うなんて――」
会えなくても困らない。今日も、知らない人には平凡な平日だ。
「……俺だって、会いたかったよ」
「それは、すぐに会えるような距離にいたなら、だろ」
持っていたのは旅行用とは思えない黒い手提げ鞄。たったそれだけ持って、彼はここまで来た。彼の言葉を使って言うなら、死ぬほど会いたかったから。
「河原から月が良く見えた。すぐ傍で同じ物を見ているんだろうなとか、月って聞いたら、思い出してくれたりしないかなとか」
だから、月の談義が始まったのだろう。遠回りするように、時間だけ引き伸ばして言葉を紡いでいたのかも知れない。
「……これからお前、どうすんの。アテは?」
「ない。終電にも間に合わないし、こんな時間に叔父さんの家にも行けないし、どうしよう」
「テレビの中でも入ってれば?」
クマは今日は、テレビの中にいる。陽介の部屋にいたり、テレビに戻ったりと気紛れな生活をしているのだ。中はほとんど過ごしやすくなっていると言っていた。一泊くらいなら、可能だろう。
「……。そうする」
「冗談だって。いいよ、ウチに来れば。たぶん平気だから」
クマもいたりいなかったりするような家だ。両親ともに、誰が陽介の部屋に泊まろうと泊まるまいと(女の子ならば話も違うだろうが)、何か言われることもないだろう。
「それじゃあ、陽介を抱き枕にして寝ても良い?」
「却下」
歩き出す二人の先を、月明かりが照らしている。
「陽介」
都会の夜ならば大勢の人と見えるのかも知れないけれど、八十稲羽の夜に、人気はない。ただ静かに、月の光と星の光が輝いていて、アスファルトを歩く靴音だけ、響く。
「誕生日おめでとう」
「それ、もう聞いた」
「顔を見て言いたかったから」
「そのためだけに来た?」
「そう。そのためだけ」
「すごいな」
「すごいね」
「ロマンティックだ」
誕生日の価値とは何だろうか、と、考える。この世に生を受けた日で、自分の命の大切さを、再認識する日だろうか。生まれてきてくれて良かったと、誰かが祝福する日。会えて良かった。いてくれて良かった。
(それだけで来たんなら、吊り合わない)
至上の祈りを、幸福を、おめでとうという祝福の言葉と共に、捧げているのだ。有り体に言えば、それを口実としている。
「――好きだよ」
月が綺麗に光っている。
「ずっと、好きだった」
月森はそうやって、最高の手管で愛の言葉を使うのだ。息が詰まりそうになる。そうだとしか思えないというだけの自分の推量と、本気の言葉とでは、意味が違う。
「会いたいってメール貰って、すごく安心した。……こんなところまで来て、迷惑なんじゃないかって急に不安になって。だってこんなの、告白と変わらないじゃないかって――、気付いちゃったから」
本当は告白しに来たんじゃなくて、と月森は声を潜めて呟いた。
「……陽介、何か言って」
「なに……言えば、いーんだよ……」
この期に及んで、何をどう、言えば良いと言うのだろうか。焦れたのか、月森は後ろから腕を伸ばした。
「迷惑だとか重いとか気持ちが悪いとか」
どれも違うので首を振った。
「うれしい」
言うべき感情はいくらでもあるのだろうけれど、他に浮かんでこない。頬が熱くて、目が眩んで、言葉は何も出て来なかった。
「俺も嬉しい。陽介に出会えて、特別な存在になることが出来て、離れることが淋しいって知って、でも、離れても変わらない想いを手に入れられて。好きだと言ったら、嬉しいと言って貰えるなんて」
誕生日おめでとう、愛してる。
重ねられた言葉に胸が一瞬で飽和した。
「ねぇ、先約なんてズルイと思うけど、俺の誕生日に陽介の好きなものを何でもあげるから、今は俺にちょうだい。陽介が欲しいんだ。今、どうしても」
首を横に振ると、ダメ? と弱々しい声が耳元に響いた。
「いらない。お前の誕生日にとか、そういうの。今、欲しいとか……そんなの俺だって、おなじだっつの」
だって今日は誕生日なんだ。
「それじゃ吊り合わない。俺ばっかり貰うことになる」
「だったら、半分ずつってことにすればいいだろ」
半分こ、と月森はささめいた。柔らかい響きが、脳に溶けていく。
「俺も……好き」
言いそびれないうちにと言葉にすると、強く抱き締められた。そのまま心臓を掴むみたいに、ぎゅっと。
陽介おめでとうあいしてる。……同じ事言ったΣ(´∀`;)
一話622字、ラストのみ6220字と誕生日にちなんで主人公に告白させました。
主花好きすぎてつらい……つらい……生きるのがつらい……